2010年12月26日日曜日

ベネ流 クリスマスの過ごし方

ベネズエラはキリスト教の国、12月中ごろからたくさんのクリスマスパーティーが開かれる。
そして、毎日のようにクリスマス料理が食べられる。
クリスマス料理とは…

Hallacaアジャカ(野菜や肉をとうもろこし粉とバナナの葉で包み蒸したもの)
Pernil(野菜詰め豚の腿肉)
En salada de gallina(鶏肉のサラダ)
Pan de jamón(ハムのパン)

全然バリエーションは無いうえ、各家庭で必ずと言っていいほど作られるアジャカの出番が相当多く、他の3品はそれほど登場しない。
地方や家庭ごとに味が違うというところが楽しみどころである。
日本の正月は三が日といったところだが、こちらは1ヶ月くらいクリスマスが続く。
新年あけてもクリスマスツリーがピカピカ、ちなみに陽気はポカポカ。
日本人的にはかなり新年気分を味わうのは難しい…。

24日 クリスマス・イヴ
昼過ぎ、任地の仲良しのミラグロの家でまたまたアジャカ作り。

なんと包丁で指を切るという失敗をし、
血が止まった後にんじん切ろうとしたら旦那さんフレディに「怖いからやるな」と言われてしまった…。
そして夜は別の家のフィエスタに呼ばれていたため、アジャカが蒸されるのを待てず食べ損ねた。

クリスマスプレゼントにもらったかわいい手作りカチューシャ
27、ラブリー過ぎて着用はベネズエラでしか無理である。。。

夜はシルビアの家でフィエスタ
なんと豚の丸焼き登場!!

家族・親戚・4人の息子たちの友達などなど大勢が集まって
ビール飲んで、踊って、アジャカ食べて、楽しかった。

深夜1時(早めに)帰宅

が、
25日の朝
二日酔い&胃もたれで起きれず…
結局夕方5時頃まで寝続けるハメに~~~
25日は25日でいろいろお呼ばれしてたのに、すべてキャンセル。
あー、寝クリスマスになってしまった。
しかもあろうことか家主のペドロ、
夕方シルビアと旦那さんが家の前を通ったとき、
私の様子を尋ねた彼らに、
「マリエは気持ち悪くて吐いて、横になっている。昨日食べた脂っこい豚肉とビールのせいだと言っていた」と
しかめっ面で答えたというではないか!
なんと失礼な!
しかも吐いてないし!!
普通に起きていた私を呼んでくれないし!!!まったくーーーー

でも、普段イライラすることの多いペドロだが、
25日の夜は質素ながら2人で夕飯を食べ、
彼の気分は上々なようであった。

26日
今後洗濯機を使うなと言われ、朝からペドロとやり合う。
「俺は悪魔だ」などと言ってくるので
「悪魔!悪魔!あくまああああああ!!!!!」
と思わず叫ぶ私。
ああ、前夜のクリスマスのbeso(キス)とabrazo(抱擁)はなんだったんだろうか…

さて、
お昼にミラグロの家で24日に作ったアジャカをいただく。
のんびり過ごした後、
夜シルビア家にペドロの嘘だと訂正するため訪問すると、
家の前で大きなフィエスタが!









人・人・人…ビスククイも結構やるではないか!
ラジオ局開局1周年のお祝いイベントで、配属先の文化センターも協力しているよう。
いくつかのバンドが歌って演奏しているのだが、
一番盛り上がったのは、
バンド交代の合間に流されるラジオの曲にのせて、人々が踊っているときだった。
ああラテン!

ちょうど友達が帰るついでに家まで送ってくれるというので、
今夜も12時に(早めに)帰宅した。

2010年12月23日木曜日

年末旅行『メリダ編』

1221
メリダ観光へ同期ともちゃんと出発!
まずは旅行会社へ行って次の日の1日観光ツアーを申し込み。
午後は山の中の温泉へ行くことに!!
が、昼食を家でいただいたら出発は2時半に、温泉へ行く道すがらいろいろな店に誘惑されて寄り道、さらに乗ったバスは15分くらいで着くかと思ってたら40分くらいかかり、結局温泉の出発地となる村に着いたのは4時半。
村人には「温泉は5時までだよ。明日来な」と言われる。がーん。
仕方なくおやつを食べてまたメリダ市内へ帰ったのだった…

1222
パラモと言われる高山地帯を巡るツアーに参加!
いざミニバンに乗り込むと、なんかシーンとしている…ツアー客は12人もいるのに。
なぜ…と思ってよく見てみると、なんとウチら以外全員カップル!!
このなんとなく気まずい雰囲気の原因はそれだったのか!
若い人たちはこうやってデートするんだなあ、とある意味興味深い。
ツアーでは

カラボボの戦いで死んだシモン・ボリーバルの犬の記念碑(きっと悲しいストーリーがあるのだと思われる)

岩の教会


コンドルのいる岩だらけの公園(?)

標高4000mちょいの峠・教会

霧がかって幻想的

晴れたー




湖などへ…






お昼には日頃出合えない魚(マス)を食べた!

そんな貴重なランチを、ともちゃんが高山病&バス酔いでなんと残してしまったので、皿の半分くらいもらって食べたらさすがに苦しかった…。

1223
朝、メルカドプリンシパルという建物の中に入っている大きな市場へ。
珍しいものが沢山あって、見てるだけでも楽しいこの市場。
なんとすごい飲み物を発見!
その名もレバントン(Levantar上げる・起こすの意)
材料をミキサーにかけるのだが、その材料とは…
いろんな果物・ミルク    ここまではおいしそう

ワインやリキュールやビール まあ、ここまでは普通(?)
鶏とウズラと魚の生卵    でた!健康ドリンク!でも、なんとか許せる範囲内…

牛の目!!!!
目をナイフで切り開き、中からドロっとした液体を抽出してミックス…

(写真左手前 タッパーの中に大量の目が…)
これはすごい、びっくりして眺めていると味見させてくれるというので恐る恐る飲んでみた。
なんとも言えない味だった。
後で聞いたら、これは男性の精力剤の意味らしい。なるほど!

たっぷり精力をつけて、また長い道のりをバスに揺られて任地へ帰った。






2010年12月21日火曜日

年末旅行『任地巡りの旅 ボコノ~トゥルヒージョ編』

幼稚園は10月に始まったにもかかわらず1214日をもって早くもまた約1ヶ月のクリスマス休暇に突入…
最終日にあった幼稚園のクリスマス会、クラスごとに何時間もただひたすらジュースやお菓子を食べ続けるだけという…
あまり楽しそうに見えないが、きっと食べれれば満足なのである。
これがここのスタイルなのだ!!!

ということで、ありがたく休みを利用。
1217日~23日まで他隊員の任地巡りの旅へ。
まずは同期だいちゃん(植林)の住むボコノへ
わが村ビスククイからバスで山道を行くこと2時間弱。環境省のオフィスに到着。
以前彼はここに住んでいたが、天井がアスベストのため最近引っ越した。
みんな色々苦労しているなと思いながらステイ先にお邪魔すると、
災い転じて福となす、なんと豪華な家ではないか!
ネット環境あり電子レンジあり、なんとびっくり台所の横にカウンターバーあり、
さらに庭にはうさぎ小屋やらイグアナ小屋やらがあり、なんとも楽しい大家族である。

近くに国立公園の湖があるというので行ってみることに。
同居人にはバスを降りて徒歩15分だと言われるが、
果たして着く気配が全く無い…
風邪で体調崩し中の我ら2人、ひたすら山の坂道を登り続ける…
途中いろんな植物観察、PB蝶発見など楽しみながら、結局1時間半ほど歩いて到着!
湖は閑散とした雰囲気だったが、きれいな川とマイナスイオンに体調が良くなってきたような気がした私たち、来てよかったよかった。
下りは歩く気がせず車で送ってもらうと7分で到着、近っ!
プラザを散策してあっという間に1日は過ぎていった。
プラザを歩くとなんかのイベントでかぶりものをしている子どもたち発見
20日にはボコノからさらに山道を2時間、
先輩隊員マユーミ(環境教育)の住むトゥルヒージョへ。
世界一大きな聖母像を見る、上る。

ギネスにのっているらしいが、ニューヨークの自由の女神の台座部分をぬかしたら、というところがツボである。
さて、こちらの家も3家族が同居するこれまた大家族。
ここでこちらの定番中の定番クリスマス料理、アジャカ作りを初めて手伝った。

始めは楽しいアジャカ作り、何時間もやっているとだんだん無心になってくる。
紐を一生懸命しばってたら、手に豆までできた。
300個は必要らしく、私たちはなんとか夜中12時までは手伝ったが、
セニョーラたち、深夜3時まで作っていた。
どれだけ食べるんだ…


次の日はマユーミの配属先の環境省オフィスを案内してもらい、
その後さらにバスで行くこと9時間(乗り換えのための待ち時間2.5時間含む)、
標高4000mの山越えをしてメリダに到着。

日本人女性とべネ人男性の夫婦の家に泊めてもらったのだが、
夕飯にはまたまたアジャカをいただいたのだった。


2010年12月15日水曜日

サンタ・バルバラの日

12月4日はDía de SANTA BARBARA
聖バルバラの誕生日だからお祝いするんだとお向かいの子達に誘われて出かけたものの、
教会ではなく、一軒の家のポーチに祭壇が作られてあり、道路にも人がいるという状態。
その歴史やいわれについては村人達に聞いてもよく知らない人が多かった。(ちょっと適当である)
なので、ネットで検索☆

『 聖バルバラ(英語:Saint Barbara)は、正教会非カルケドン派、一部の東方典礼カトリック教会で崇敬される聖人(広く民間に崇敬を集めた聖人であるが、カトリック教会では歴史的に実在した証明ができないことを理由に、1969聖人暦から外している。)。建築家や石工、砲手、消防士、鉱夫、囚人の守護聖人である。3つの窓をもつ塔、棕櫚の枝、孔雀の羽根、剣、聖杯、稲妻、本などとともに描かれる。記念日は124 
はあ…なんで聖人なのに教会で祝わないのかという疑問は解けたけど、全然よくわからず。
『伝説…バルバラはキリスト教が禁じられていた3世紀ニコメディアの富裕な家庭に生まれた。求婚者たちから美しい娘を遠ざけようとした非キリスト教徒の父、ディアスコロスによって、バルバラは塔の中で生活することになる。その幽閉生活の中で彼女はキリスト教への信仰に目覚めた。ある日、2つの窓のある浴室が塔内に建設されることになった際、バルバラは窓を3つに増やさせた。この理由を三位一体を表わすためとしたことから、娘がキリスト教徒であることを知った父は激昂し、手にかけようとする。その瞬間、岩が二つに裂け、バルバラを包んで連れ去った。しかし、彼女を発見した羊飼いはその居場所を彼女の父親に密告してしまう。その後、羊飼いの羊たちはイナゴに姿を変えられた。一方、捕らえられたバルバラはキリスト教を信仰したかどによって、火で身体を焼かれるなどの拷問を受けた。しかし、翌朝には神のもたらした奇跡によって傷は癒され、その裸身は白い薄衣で人目に直接触れないように覆われたとされる。124日、剣によって彼女は殉教したが、その父はのちに稲妻に打たれて死んだという。
おお、怖い…
なんとなくわかってきたが、もう一つ気になったのが、
サンタバルバラといっしょにおいてある黒人の置物。
(写真中央)
どうみてもキリスト教とは関係なさそうな風貌である。
1人がかなりの違和感を出しているので気になって仕方ない。
お向かいさんいわく「名前はチャンゴ、サンタバルバラのだんな」だそうだが、
調べてみたら、サンタバルバラよりさらに興味深かった。
彼はアフリカの宗教の軍神だったのだ。
そして、そもそもサンタバルバラのお祭りのルーツはキューバだったようだ。
黒人導入の歴史が他国より遅れたため、キューバにはアフリカの宗教が比較的純粋に保たれており、キューバ人の多くは白人を含めて、表面上はカトリックの聖者信仰でありながら内実はそうした聖者になぞらえたアフリカの神を信じているらしい。
だから、サンタバルバラとチャンゴを一緒に祝っていたのか…なるほど。
ところで、ダンナって…ぜんぜん違うじゃん!!!

さて、そのお祝いでは何をしたかおいうと…
宗教的というよりは一種のお祭りである。
まずはカラバナ(車のパレード)に参加。


夕方サンタバルバラの像を積んで、サンタバルバラに関する曲をかけた車を先頭に出発。
軽トラの荷台に人を積み、バイクや馬も同行した。
1時間半かけて村中を回ったのだが、荷台から村を眺めながらビールを飲んだり花火を見たりして楽しかった。
ゆっくり走っていたので村のいろんな場所を知ることが出来たのも良かった。
繰り返しかけられる音楽のために、もう頭の中はサンタバルバラでいっぱいである。
思わず口ずさみ、後日CDをお向かいさんに借りに行ってしまったほどだ。
この曲についても、CDジャケットや曲名こそ、聖バルバラなどキリスト教の聖者のデザインや名前にあふれているが、宗教音楽というよりは、黒人音楽がベースのしっかりしたリズムをもったキューバ音楽だったようだ。中にはリズム感あふれる太鼓だけの曲もあって、最初はどうしてアフリカっぽい曲がまざっているのかよく理解できなかったが、納得である。


さて、カラバナが終わったあとはお向かいさん家でまたお祝い。
こどもたちがダンスを疲労したり、ケーキを食べたり、踊ったり…
わたしはおばあちゃんとたくさん踊った。結構なお年なのに、踊りとなると若くなる。


その後夜9時半頃、サンタバルバラがたくさん飾ってある家(集会所)へ行く。
お祈りが繰り返され、ちょっと宗教的な感じに…。
が、道路では花火が打ち上げられたり、その向かいの家ではバーベキューパーティーがされていて、いい感じの肉の香りが漂っていたりと、やはり基本は南米ノリである。
さらに深夜になるとパンなど軽食が振舞われ、サンタバルバラにまつわるスライド上映も始まった。もちろん、誕生日の歌を歌ってケーキの振る舞いがあるのはお約束。


わたしは12時過ぎまでいたが、まだ残ってる人もいた。
夜遅いところもまた南米ノリである。

結局、
日本人がキリスト教徒でないのにクリスマスを祝うのと同じような感じで、
他国に便乗してうまれた習慣のようだ。
そう思うと、親近感…!?