2011年4月30日土曜日

隣の芝生、エクアドル

泣く泣くガラパゴスに別れを告げたが、後半はそれはそれでまた楽しい観光が待っていた。
忙しく移動しながらも、いろんな所をのんびり観光した。

23日 オタバロ(キトから車で3時間くらい)
かわいい民族衣装を着た人当たりのいいオタバロ族の人々が大きな市場を開いて民芸品などを売っている。どれもかわいくて質も良いのに値段は安く、いろいろ購入した。

エクアドルは寒いせいか(?)アイスと見せかけて卵白のクリームのお菓子がよく売られていた。

24日 赤道記念碑(キト近郊)
いわずとしれた赤道直下の国エクアドル!
ちょっとインチキ赤道博物館や、

本当の赤道ではないところにある赤道記念碑を見た。
日曜だったせいか、ダンスショーがやっていた。皆ニコニコ踊ってたのが印象的だった。
女が男を追い払うが結局仲良く一緒に躍る踊り
博物館にあったインディヘナの壺
どこかさくらももこ的な…

クイという食用モルモットを食べた。直前に生きているのを見ていただけに辛かった。






25日~26日 ラタクンガ

同期の養護隊員を尋ねた。ちょうど養護学校で記念式典があったので招待してもらった。警察隊のブラスバンド、踊りの発表、大きな花火(?)登場と楽しかった。

が、お腹を壊す(この日から連日腹痛に苦しむハメに!!)
翌日も広場で展示会をしていたので見に行った。
道化とダウン症の少女
道でよく売られているセビッチョチョスという軽食。
チョチョスという豆のセビッチェ(マリネ)なのだが、なんとバナナチップスとポップコーンを入れるのだ。この国ではスープにもポップコーンを入れたりと主食的な役割があるらしい!?ポップコーンもところ変われば、である。

26日夜~27日朝 チュンチ
同期の看護士隊員を尋ねた。夜着いたが朝には彼女は出勤、私達も出発だったからちょっとしか会えなかったけど、現地で頑張り、また楽しんでいる彼女の話は刺激になった。他のエクアドル隊員には「チュンチは何も無いし行くのやめときなよ」と言われたが、そんな普通の村を垣間見れたことも良かった。

27日~28日 クエンカ
コロニアル調の町並みを残す世界遺産にも登録されている綺麗な町。
胃も痛いわ下痢もひどいわでつらかったけど、午後いっぱい歩き回り、おしゃれカフェに入ったり高いところに登って町並みを眺めたりした。夜は夜で教会のライトアップなどされていて美しく、またまた歩き回った。その後バスで10時間くらいかけて首都キトへ戻った。

29日 キト
観光最終日は旧市街へ。大聖堂やら教会やらまるでヨーロッパみたいな町並みに大満足。
が、ちょうど民芸品市をやっていて、そこにかなり長い時間を費やしてしまった。ほんとエクアドルはお土産の宝庫である。
インディヘナの器を買った。
夜は同期隊員達と最高に夜景の綺麗なカフェレストランへ行っておいしいご飯を食べた。
お腹の調子はまだ悪かったがそんなこと気にせずモリモリ食べたら、案の定…だった。

エクアドルは人優しい、観光名所だらけ、素敵なコロニアル調の街多し、ガラパゴスがある、民族色豊か、素敵な手工芸品だらけ、ご飯おいしい(魚介よく食べる)、首都にはおしゃれでおいしい店多い、物が豊富、バラが安い(25本で$1)、治安が良い(ベネズエラよりは)、郵便物がちゃんと届く(しかも速い)、警察が腐敗してない、隊員連絡所がベネズエラと比較にならないほど広くて新しくてキレイ…
と、とにもかくにも羨ましかったけど、
「いや、隣の芝生だ…」
と言い聞かせた。
ベネズエラの方がいいところを探そうということになり、考えた結果、
人々が身なりを気にしてシャワーもよく浴びるのでおじさんも臭くない。
という結論が出た。

同期隊員達には本当にお世話になり、どこも本当に楽しくて、帰りたくなくて仕方なかった。が、空港について飛行機に乗ったとたん、
「次回の役員のことだけど…」
「連絡所についてなんだけど…」
とともちゃんと話し合い開始。
頭の中はすでにベネズエラへ、
あっという間に頭をきりかえた私達。
さすが!?

2011年4月29日金曜日

完璧な自然

初めての任国外旅行へ!
行き先はベネズエラの西に二つ隣の国エクアドル!
セマナサンタ休暇を利用して、4月15日から30日まで思い切って16日間、
心の友同期ともちゃんと2人旅である。
普段「外国」に住んでいるわけだが、任国ではない「外国」に行くのは、やっぱり「海外旅行」なわけで、とってもワクワクしながら出発した!

まず首都キトに着くと、早速違う!
ベネズエラではほとんど見られないインディヘナ(原住民)顔の人がたくさんいる!そして寒い!!
同期隊員に迎えに来てもらい1泊した後、楽しみにしていたガラパゴスへいよいよ出発!
飛行機に乗って着いた先は…

楽園!!!

さっそく海の綺麗さにやられる。
7日間の滞在中、2,3日目は1Dayツアーに参加、4日目からは3泊4日の島周遊ツアーに参加した。
シューノーケリングでたくさんの海の生物に会えた。
サメが近くを通ったり、アシカやペンギンや海ガメと泳いだりした。
船から見たイルカの群れも感動的だった。
陸にはいろんな鳥がいた。

陸ガメはすっごく大きくて、イグアナは群れていた。

突如母アシカがむせて全身に痰をあびてしまった。要注意!

ガラパゴスはいくつかの島があるのだが、島によって全然景色が違う。
白い砂浜、赤い砂浜、まるで違う惑星に来たかのような溶岩の塊でできた島…。




毎日感動した。
全身で自然を感じることが出来た。
この経験は語りつくせない。
写真でも文章でも伝えきれない。


エンコカードという辛くないタイカレーのようなスープと車海老。すごいおいしくて次の日も食べに行った。



が!いろいろ事件もあった。
まずホテルに着いたら、
「今日は満室だ。」
「え?」
5~6回メールのやりとりをして予約済みだったはずが取れてなかった。
「いやいや、散々メールしてたから!」
それでもしぶる女主人。
「ちょっとメールチェックしてみてよ!!」
――あった!!(一同)
ふてぶてしい女主人、そこではじめて
「ぺルドン(ごめん)昨日までバカンスに出かけてて。」
と謝罪&言い訳にならない言い訳。
「忘れてたわ」と笑われてしまうと、もはやこっちも笑ってしまって責める気もしない。
すぐ他の所を紹介してもらえてからよかったけど。

日帰りツアー1日目の帰り道には、船のエンジンが止まってしまった。
雨も降ってくるし、暗くなっても助けが来ない…。
しかし、乗客たち気にしない!
たまたま中南米出身のラテン気質な客が多く、冗談を言いあいながら、そんな状況をも楽しんでいるように見えた。結局1時間半程待ったら助けの船が来て、私はぐったり、眠りながら帰ったけど。

4日目には旅行会社のエクアドル人のおばさんと喧嘩をした。
「この子を店の外に追い出して」と怒鳴られる始末。
悔しくて泣いていると、同じく不満を持っていたツアー客のオーストラリア人老夫婦になぐさめられた。
ヒゲの短いサンタクロース風なだんなさんは「これは魔法の薬さ」とキャンディーをくれた!齢27にして子どもかって感じだけど、なんて素敵おじさんなんだと感動した。
が、この老夫婦、「言っていた内容と違う!」と結局ツアーを降りてしまった。結構なお年に見えるのに、そういう決断力がすごい。
このツアーにはラテン圏の客はおらず、欧米人ばかりだった。
彼らはガイドにきちんとした説明や旅行会社に責任を求める。

1日目の船が故障したときの客がもしラテンの人々でなければ、愉快には過ごせなかったかもしれない。楽しむために責任を求める欧米人の考えもとてもよくわかる。でも、適当なんだけど、どんなときも楽しんじゃう気楽な性質のラテン人の方が人生を楽しめるのではないかと感じた。私はどっちかな。すぐ怒っちゃうから、ラテンではないか。

船は島で一番古いもので、船室はめちゃ狭かった!
今回の旅行は、同じ南米でも違うと思ったりやっぱり同じだと思ったり、任国を客観的に見るいい機会だった。
エクアドル人はベネズエラ人より穏やかで礼儀正しいと感じたり、
全く悪びれないおばさんにベネズエラ人と同じだと思ったり、
ベネズエラの男性のほうが優しいな~と思ったり。(積極的だという意味で)

とにもかくにも1週間、完璧だとも言えるような美しく守られた多様な自然を満喫して、もっといたい、まだ帰りたくないと思いながらガラパゴスを後にした。

2011年4月7日木曜日

4月7日の私

「4月7日の空を撮りませんか」
こんな企画がボリビアで活動する同期隊員から寄せられた。
駒ヶ根訓練所に入所してからちょうど1年。
悲しい出来事の多かった3月、皆を元気付けるための企画だったと思う。
残念ながらこのメールを見たのはすでに4月7日を過ぎた後。
しかも、この日は午前は幼稚園で、午後は地域でイベントを持っていて、忙しい中で1周年であることをすっかり忘れて過ごしてしまった。
でも、この日私が充実した1日を過ごせていたことは、私なりの1年の成長だと感じた。
空はほとんど写ってないけれど、活動中に撮った写真を遅ればせながら送らせてもらった。

『4月7日の私』
AM 幼稚園でペープサート上演

幼児教育36周年を祝うため1ヶ月間行事が満載な4月。
「人形劇をしなさい」という教育課の指令のもと、サーカス団を呼んだ先生。
が、上演してもらえるのは2時間の設定のうちの40分。
しかも人形劇じゃないし。
こういうとき何もしたがらず人頼みにする先生達に、
簡単に劇場は出来るよってことを伝えたくて、ペープサート劇場を提案した。
内容企画とペープサート製作を手伝い、わずか2日前に準備を始めたものの、なんとか前日にリハーサルまでこじつけた。
私が作った操り人形を貸し、なんのお祝いなのかも説明させた。
(言わなかったら多分子どもになんの説明もなかったと思う)
協力してくれた3人の先生達、上手にやってくれた!やれば出来る!!
その後来たサーカス団。
子どもを上裸にしたり(なぜか胸を隠そうとする少年(左から2番目)がかわいい)
めちゃ身体が柔らかい女の子が出てきたり。
終了後に司会役の男性と話すと元カノが日本人だと発覚。
さらに道化役だった男性にしつこくくどかれ、
子どもが近寄って話しかけてきても無視してくどき続ける彼に、
サーカス団の夢も何もないではないかとあきれた。

PM 地域の子ども向けイベント
図書館職員ジョエルに誘われて地域のイベントへ。
読み聞かせが上手な彼。
絵本を1冊読んだ後、新聞紙でカブトを作った。

とってもきれいに色まで塗ってくれた。
嬉しそうな子ども達の様子に、こっちも嬉しくなった。
 
送った写真


純粋で優しい彼ら。

4月7日 ――いい1日をありがとう。


2011年4月1日金曜日

ポップコーンはあとで食え!(運動会編)



日頃運動遊びを全然させない先生達。
多分そもそも何をさせればいいのかわからないのだと思う。
体育の時間を増やしてもらうため、運動の習慣をつけるため、運動会を企画した。
1月頃から準備を始めたものの、3月になっても全然行動を始めてくれない先生達にヤキモキ…
しかし、いくら「発表の内容を考えよう。」「練習しよう。」と言っても「大丈夫よ~」と先生達は落ち着いたもの。
そうじゃなくて!
当日良ければいいというものでも、直前だけ練習すればいいというものでもないんだあ!
でも、ここはベネズエラ。
私もベネズエラ人の心にならなければ…
焦らず…ゆとりを…
どうにかこうにか、1週間前に練習を始めれば良しと思うことにした。
そう思ったら、イライラしたり、反対に自己嫌悪に陥ってたりしていた心もいくらか楽になった。

いくつもの山を越え谷を越え、なんとか当日に。
3月30日が午前のクラス(9クラス)、31日が午後のクラス(7クラス)
と2日間にわたって実施した。
何度も練習した開始の挨拶

1日目(午前のクラス)
日本ではありえないいろいろな出来事があった。
その1)新聞紙でせっせと200個の玉を作った私。
玉入れのとき、子どもに混じって玉を投げる先生、
楽しんでくれてるのはいいが…
終わりの合図があったのに投げ続けた上、子どもは投げるのをやめたのに、
玉を入れる箱を持っていた私にむかって玉を投げつけてくる。
頭に命中。
ふざけるなっつーの!!!

その2)途中でアイスやおやつを食べ始める子ども・先生。
Å先生、前もって手伝ってもらう内容を説明していたにもかかわらず、
いざ手伝いを頼みに行くと…
“今アイスとポップコーン食べてるから無理”とアイスを口にくわえながらジェスチャーで言ってくるではないか。
子どもかっ!?

その3)B先生、障害物競走の補助(子どもがジャンプ台からジャンプして叩くタンバリンを持ってもらう)を頼むと…
ポップコーン片手にやってる!っていうか食べてる!!
子どもは一生懸命やってるっつーの!!!
注:この先生ではありません


その4)用務のCさん(男性)、子どもがよじ登る用の積み上げたマットを支えるのを頼んだら…
メールしてる!!
危ないっつーの!!!


モラルの無い先生達に辟易しながらも、なんとか無事に終了し、
前日と当日朝の久々の緊張感から解放され、かなりホッとした。

2日目(午後のクラス)
12時に地域体育館へ到着。
が!停電!
全クラスが音楽が必要だというのに!
待てども電気はこない…。
結局副園長が発電機を探しに行ってくれ、なんとか2時には始めることが出来た。
園長先生始め何人かの先生は1日目も手伝ってくれていたため、すでに内容がわかっている人が何人かいてくれたおかげで、1日目より格段にスムーズに進む。
さらには先生達がめちゃ協力的!思い描いていた通りに競技が出来た!
これを求めていたんだあー!
普段の練習のときは、
「午後のクラスは午前に比べて準備しないし、練習も全然しない。」
と思っていた。
だから、一度は「先生達(午後のクラス)にやる気がないなら、やる意味ないしやりたくない。」と園長に訴えたこともあった。
でも結局は各クラスの出し物も良かったし、競技も楽しく上手く進んだ。
だからなんだか感極まって、
最後に全員で歌を歌っているとき
(ぶっちゃけ先生たちが子どもに教えてくれたなかったからほとんどCDだったけど)
思わず涙が…!

なかなか大変だったけど、やってよかった。
達成感☆

各クラスの発表

ストレッチ

かけっこ

さらに、がんばったオマケが!
1日目と2日目に地元テレビの取材が来て、テレビデビューを果たした!
取材と行ってもおじさんが1人来て普通のコンデジで動画撮影、
放送内容は超簡単なセットの前でしゃべるおじさんと、
全く加工も処理も何もされてない映像が放送されただけだったが…。
あと、地方新聞にも写真つきで載った!

幼児期の運動の重要性とJICAボランティアについてちょっと広まった…はず!!
ミッション完了―!