2011年5月15日日曜日

朝一で朝市~!

平穏な土曜日の過ごし方…朝6時半起床。 これは普段の生活リズムを変えないためでもあるけど、週一回開かれる土曜の朝市に行くためなのだ!
家から歩いて2分くらいのところに開かれるこの朝市は、ビスククイや周囲の田舎から野菜などが持ち寄られ、安くて新鮮!
噂によると夜中2時くらいには着いているらしく、まだ暗いうちから開いて、私が行く頃にはすごい人で混雑している。
以前は8時過ぎとか9時くらいに行っていたのだが、もういろいろ売り切れてしまっていて、人も少なく店じまいしているところも多かった。
川魚も売っている。

朝帰りの若者達が「俺達を撮ってくれ~うひひ~」やれやれ。
              

アレパやケーキなど自家製品も売られていて、
クアハーダというカッテージチーズを買った。バナナの葉に包まれて売られている。

おまけしてくれることもよくあり、
「バナナ1ボリ(約10円)分下さい」と言うと、こんなくれた!
毎日バナナ祭りである。普通の店では1Kg3ボリ(大体1ボリなら2本くらい?)、朝市でも負けてもらって1ボリで10本もいかないくらいなのだが、セニョール、これでもかってくらいビニールに詰めこんでくれた。
ヴォルファンの店はいつも繁盛。
そして、いつも負けてくれる。っていうか、大体タダでくれる。もちろん毎回払おうとするのだが、私は自分の1週間分のほんの少ししか買わないので「ちょっとだからいいよ、持って行って。」と言ってくれるのだ。そして会うと必ず「彼氏は出来た?」と聞いてきて、「僕を彼氏にしてくれ」「家に行ってもいいかい?」「君の手料理が食べたい」など色々言ってくるのだが、素朴なとてもイイ人である。彼の屋台に行くために朝市にいくようなものである。
手前の派手なおばさんに気をとられてしまうが、奥が彼である。
一回大量にタダでくれた。こんなに。
変な誤解をさせない程度のお礼をしたいと思っているが、何がいいかな。。。

2011年5月8日日曜日

なんだかんだ任地は落ち着く。

エクアドル旅行とカラカス上京を終えて3週間ぶりに任地に帰ってきた。
いつも帰任時は「まだカラカスにいたいなー」と思ってしまうけど、いざ着くと、「オラ!マリエ!」と皆が声をかけてくれ、人の触れ合いの温かさを感じる。
見上げれば木々が生い茂る山々が見える。
家に着くと家主のフアナが「スパゲティーあるけど食べる?」などと言ってくれる。
部屋に入ると窓から心地いい風が吹いてきて、鶏の声があちこちから聞こえる。

実はエクアドルでお腹を壊し、10日間くらい朝昼晩と正露丸を飲んでも治らないのでカラカスで受診していたのだが、もちろん薬(多分抗生物質)が効いたのもあると思うが、2週間近く続いた超激しい下痢も帰ってきたとたん治ってしまった。

<我が家の変貌>
以前

現在(ペンキが塗られたがカラフルすぎてディズニーランド風)

隣近所は家主フアナの兄弟の家なのだが、階段に見事な配色でペンキが塗られた。
日本家屋のわびさびのかけらもない土派手カラーに国民性を感じる。

<我が家の台所(2回の住人用)ができるまで>
以前(物干し場)
工事中(すべて手作業)
完成!

かねてから家主は台所の混雑っぷりを嫌がって住人用の台所を計画していた。
この度完成、さっぷうけいだがまあまあ使い心地はいい。
ただ、テーブルが高いのにイスが低くて、食べるときはお皿を手に持たなくてはならない。

さて、久しぶりの幼稚園出勤。少し緊張。
10月から全クラスを1週間ずつ周っているが、やっと最後のクラスまできた。
ところが、朝私が教室に入ったとたん帰り仕度を始める先生。
「子どもが病気だから」
まあ、仕方ない。
もう1人の担任も見当たらないので聞いてみると
「休暇中よ」(翌日腕を痛めていることを知った。)
結局代行の先生と2人で保育をした。
まあ、こんなもんだよね。

ところで、今週一緒に先生向けの講習会を開こうと企画していた先生が見当たらない。担任を持っていないが、知識があり協力的な彼女とは、子どもの劇発表などのプロジェクトも進めているところだった。
「体調を崩して先週から1ヶ月休暇中よ」
うう、仕方ない…。

お腹が空いてきたのに給食が来る気配が無い。給食室に行くと誰もいない。政府がお金を出さないために1月から無かったのだが、4月から再開されていたのに…。聞くと、「食材を州都から運んで来る人が横領して食材が足りない」から無いらしい!!
そんなのありか!?
また給食無しになってしまった。
うう、ショック!!

いったん昼食を食べてまた幼稚園に戻ると、あまり子どもがいない。
停電&断水のために授業が半分カットになっているためだった。
ああ、こんなもんだよね。

なんだかんだここは任地なのである。
思うように事が進まないのが常である。
はりきって頑張りすぎても仕事は上手くいかない。
現地ペースでのんびりやっていこうと思う。
ダラダラ気味なことへの言い訳ではない。

2011年5月7日土曜日

私ミス安全対策

5月2日~6日は隊員総会と大使館報告等のため全隊員が首都カラカスへと上京。 私は安全対策委員会委員長という役割を持っており、総会内で安全について1時間位の講座をしなければならない。
そのため4月30日には旅行から帰国、大使館でスペイン語で活動の中間報告もしなければいけなかったから、毎日せっせと準備と練習をした。

安全対策の講座の閉めに、
「若い力(青年海外協力隊の歌)」ならぬ
「防ぐ力(安全対策協力隊の歌)」などというものを作って歌ってみた。

『防ぐ力の歌』(安全対策協力隊々歌)
防ぐ力が ここにある
旅券の扉 月一開く(※1)
ばらして持とう 貴重品
旅券は腰に いざ行かん
身分は説明 警察 171(※2)
われら安全協力隊

若い命が ここにある
連絡所門限 夜の9時
カラカスへの道は遠くとも
だめよ夜行バスは メトロは5駅間(※3)
背中にも目 目立たず 用心あれ
われら安全協力隊

※1 隊員が持つのは一般旅券とは違う公用旅券というもので、命の次に大事にしろと言われている。そのため、日頃の管理をしっかり行うため、月に1回保管場所(鍵のかかる所)を確認し、旅券管理委員会とよばれる役員にメールで報告するということを自主的に行っている。持ち歩くときはもちろん防犯用ウエストポーチに入れて隠す。

※2 この国の警察はかなり腐敗している。特に地方警察はひどく、バス移動中の検問でいちゃもんをつけられ賄賂を要求される等といったことがしょっちゅうある。そのため、自分の身分をしっかり説明しなければならないし、パスポートも持ち歩かなければならないのだ。

※3 中南米でハイチの次に治安が悪いと言われるベネズエラ。他の国の隊員が旅行に来ることは禁止されている。多くの旅行者も避けて通る、その超危険な首都カラカスでは、隊員の行動はかなり制限されている。大都会カラカスには地下鉄があるのだが、使っていい範囲は、大使館やJICAオフィスがあるミランダ駅を基点としてわずか東西2駅までである。

かなりの字余りだったが、
訓練所時代毎日歌っていた隊員には超有名な曲を使ったことで、
楽しく安全に対する意識の向上が行えた(と思う)。