2011年6月30日木曜日

山こえ谷こえ幼稚園

現在幼稚園を巡回中。
日頃親切にしてもらっているミラグロの働く幼稚園に行ってきた。
普段働く2園はどちらも我が家から徒歩5分ほど。
が、この園は市内から離れた山の上の方にあるため、早朝に出発しなければならない。
まだ暗い中、5時起床。
5時半に彼女がウチへ寄ってくれ、一緒にカリート(乗り合いのミニバン)の発車地点へ。


この発車地点、ウチから5分ほどで着くのだが、カリートの始発は6時半。
なぜ…!?
それは、ミラグロがカリートの助手席に乗りたいためである。
後部座席に押し込められた人々(大体が出勤する先生)がよく「押した押された」等々、言い合いするらしいのだ。
そのために毎日1番に着くように早く出ているらしい。
先生…。

さて、6時半ちょうどに出たカリート、山道を走ること1時間。
助手席にミラグロと2人で乗ったので相当きつかったが、
幸いにも先生達はほとんど一言もしゃべることなく、無事に終点へ着いた。

終点の村のかわいい入り口

降りた後は、今度は山道をひたすら徒歩である。
車など通らず、すれ違う人も少ない田舎道。
急勾配を登り下り、長靴に履き替えて渓流をこえ、ぬかるんだ道を歩き…
1時間後やっと幼稚園に到着!
遠っ!

田舎の幼稚園は子どもの数が少なく、来ていた子どもは1人!
しかも田舎の子、恥ずかしがり屋であたしが近寄ると逃げるくらいの勢いである。
「水曜は日本人の先生が来るから絶対来てねって何度も言ったのに…」と申し訳無さそうなミラグロ。
「残念だけど、こういうことも予想していたし、気にしないで」と言ったが、
なんと保護者に電話して、「来て」と言ってくれた!
すると他に3人の子どもが登園。
早速活動開始である。
滅多に来れるところではないので、読み聞かせから、絵本作り、
新聞紙遊び

運動あそび

とめいっぱい遊んだ!

お昼に全員降園した後、1人の男の子について、ミラグロがこう言って来た。
「今日あの子は初めてジャンプしたのよ!いつもはいくら誘っても全然やりたがらないのに…」
動物の動きをする運動あそびを楽しんでくれたようだ。
その言葉が、すごく嬉しかった。

そして帰りは行きより登りが多く、さらに時間がかかった。
(かなり)太っているミラグロ、大汗をかきながら「は!車の音じゃない?!」とたまに砂漠で蜃気楼を見た人のようなことを言っている。
こんな遠くの幼稚園で4年間働いている彼女はたいしたものである。

でも、これには訳がある。
政治的な理由があるのだ。
市内の幼稚園で働くためにはチェべス派の活動に参加しなければならない。
毎週の集会や、遠くの町である行進…
そうして認められると仕事が紹介されるらしい。
ミラグロは反チャベス派である。
かりに嘘をついたとしても、3人の子どもを抱えて、毎回政治的活動に参加するのは無理である。
ビスククイ村の人々は、皆政治に振り回されている。
良くしてくれている友達は反チャベス派の人が多いのだが、いつももどかしい思いがする。

それにしても幼稚園まで、自然は綺麗だが、遠かった。
「本当に自然がきれいだね!」と彼女を励ますためにも弱音ははかなかったが、帰り道は足が痛くなってしまった。
「自然はきれいだし、子どもはかわいいけど、遠すぎるわ!」とミラグロ。
「“距離”だけが問題だね…」
大きくうなずく彼女であった。

2011年6月17日金曜日

本業忘れて…

最近、生活に余裕が出来てきたのか、結構本を読んだりDVDを見たりして楽しんでいる。
そして、新たな趣味を始めた。

編み物!
私、料理は好きだが縫い物編み物の類はかなり苦手…
子どもの頃から嫌いだった。
しかし、現地の友達が教えてくれると言うので、この期会に覚えることに!
早速鈎針と毛糸を購入。
すると結構楽しくて時間を忘れて編んでしまう。
汚いやつは最初の作品(真ん中は友達の作品)
そんな折、
幼稚園で先生と保護者向けにコサージュ作り講座があった。
わざわざ金曜日のクラスを休みにして…。
村で流行中の布で作った花飾り、
保育にも子育てにも全く関係ないじゃないかとツッコミたかったが、自分も教わりたかったので参加。


チャベス大統領によるHecho en Socialismo(社会主義製)に対抗すべく、
Hecho en Japonesa(日本人製)として販売しようと意気込み中!?
ハート部分が“社会主義製”マーク

2011年6月16日木曜日

あめあめふれふれ とうさんが~♪

日本と同じく6月は毎日雨ばかり。
雨で川が増水すると同時に水道水に土やゴミが混ざって真っ黒…
飲み水始め、シャワー・歯磨き・洗い物・洗濯…いろいろ苦労が増える。
水の大切さ実感中。
こっちの人、しょっちゅう下痢したり吐いたり、虫下しの薬を飲んでいる。
現地の人でこれなんだから、免疫の無い日本人の腹なんてひとたまりも無い。
水の煮沸のおかげか今のところなんともないが、水道水を見てると怖くなる…。

雨は他にも弊害を起こす。
生徒が学校に来ない。
先生が学校に来れない。もしくは来ない…。
道が悪かったり、傘を持ってなかったり、まあいろいろ理由はあるだろう。
我が家の家主の孫も最近やたら家にいる。
「今日授業ないの?」と聞くと、
「行ったけど先生が来なかったんだよー」と家に帰って来てアニメを見ている…。
これ、別に普通。
「雨で道が通れないんでしょう」などと家主も言っている。
先生が突如来ないことや急に授業がなくなることなんて、子も親も誰も気にしやしない。
最近すっかりベネソラーナ化してしまった私、
どしゃぶりの時は、「やんだら行こ。」…。

さて、そんなどしゃぶりだった6月16日、幼稚園では父の日のイベントがあった。
誰も来ないんじゃ、と心配していたが雨がやむと集まり始め、遅くなったが開始。
“父の日”ということで、子どもたちのお父さんを招待し、踊ったりゲームしたりと盛り上がる。
が、ゲームは父のみの参加。
子どもは見ているだけなのである。
1つ2つくらいならいいが、全てである。
子どもが一緒にやるのは1~2曲やった踊りのみ。
飽きるだろ…。
そんなことはおかまいなしに、案外パパたちは楽しそうに参加していた。
特にイスとりゲーム、かなりの興奮状態!
そういえば日本の運動会でも、綱引きやらリレーやらにはりきりすぎて怪我するお父さんよくいたような…。
幼稚園で楽しそうに遊ぶパパを見ることは、子どもにとっていいことだよなと思いつつも、やっぱり子どもと参加できるゲームもやって欲しい。
私は子どもを渡すゲームを紹介。
とっても盛り上がって嬉しかった!
実はこれ私が子どものとき通っていた幼稚園で父の日にやっていたゲーム。
日本では親を呼んだイベントの開催が難しい今日この頃、
また片親への配慮から父の日等のイベントもしなくなってきている今の時代、
とっても心があったまった1日だった。

2011年6月15日水曜日

活動開拓

「マリエ、私のクラスには次いつくるの?」
配属先幼稚園にて、F先生に聞かれた。
なら今から絵本の読み聞かせに行こうかと決定。
クラスに入り
「私はこれ読むから、あなたはこれ読んで」
とF先生に絵本を渡そうとすると
「だめだめ、忙しいのよ」
―は?
後で書きゃいいだろっていう感じの書類に子どもの名前を書いている。
5分だけでも…」とねばるが、
「無理無理」と軽くあしらわれる。
それではともう1人の担任のM先生に言うと、
「今日眼鏡持って来てないから読めないわ」と…。
―毎日持ってこい!!!、
あきらめて若い実習生に絵本を渡すと上手で無いながらも張り切って読んでくれた。
思わず「ここじゃ何も学べ無いよ。彼女達何もしないし。クラス変えたほうがいいよ。」と言ってしまった。
さていざ私が読み始めると、ふと見ると例のF先生がいない!
帰ってきたと思ったら、スナック菓子食ってる~~~!!!
売店にチーズ味のコーンスナック(私の好きなやつ)を買いに行っていたのだ。
―忙しいんじゃなかったのか!?
全く気にすることなく座ってさぼっている。
お菓子食べるのに忙しいのかあああ!!?
本当にバカにしている。
読み終えて即部屋を出た。

イライライラ…
なんか、やる気が起きない。
この幼稚園、もうやだ…
先生にやる気を出させるのもボランティアの仕事だが、限界がある。
次の日、初の登校拒否もとい無断欠勤をしてしまった。

そして、新しい活動場所の開拓を決意した。
他の幼稚園の巡回である。
配属先園の園長達にはあまりいい顔されなかったが、
「他の幼稚園も観察した方がいいと思うから。」
「いい活動があればお互いに紹介したい。」
などと言って承諾してもらった。

そして、モンタニータ幼稚園でも週に2回、午前中だけ活動をすることになった。もとからそこの園でも働いて欲しいという市長婦人の要望は聞いていて、ずっと行きたいと思っていたので、ちょうどよい機会だった。
交通ルールを学ぶためのお散歩

保育所で乳児用手作りおもちゃ紹介

さらに嬉しい発見が!
3番目に行ったサンフランシスコ幼稚園にすごくイイ先生がいたのだ!
眼鏡で小さくて太ったおばちゃんなのだが、
常に子ども達と遊び、きちんと活動を与え、座ってさぼってるなんてことがない!!
ちゃんと働いている~(感動)!!
そして、子どもとどう接するべきか、ちゃんとわかってる~!
しかも人間的にも明るく優しくて素敵!
こういう先生もいるんだとわかって嬉しかった。
やっぱり1つの園にいただけではだめだ。

ちょっと距離をおいているのは事実だが、一応配属先園でも(細々)活動している。
保護者向けの絵本の読み聞かせ啓発ポスター作成


はて、もうすぐ年度変わりの長期休み。
1年の締めくくりはどうなるか…!?


2011年6月13日月曜日

聖アントニオの日

1週間の村祭りが催された。
ビスククイ村のパトロン(守護聖人)であるサンアントニオを祝うこの祭り、
もちろん毎日のようにカトリック教徒のミサがあちこちで催されるのだが、
市役所主催のイベントは…
ミス・ビスククイ
毎晩深夜開始の野外ライブ
コリーダ(スペインの闘牛)
トロ コレアード(南米風闘牛…馬の騎手が牛の尻尾を引っ張って倒す)
移動遊園地と露天屋台


などなど。。。
もはやサンアントニオの影はどこにも無い。

お祭り大好きな私、いろんなイベントに参加した。

7日(火)と8日(水)は夜に路上のミサが。
1時間半程のミサの後にはパンや軽食の振る舞い、
子ども達によるタムナンゲとよばれるサンアントニオの踊りが披露された。

9日(木)は村のレイナ(女王)の選考会があった。いわゆるミスなんとか…ってやつである。
プログラムには8時開始とあるものの、ベネズエラタイム、予想通り始まったのは10時半を回った頃だった。
15歳くらいの子達が超セクシーなデザインの黒の水着で登場、いいのか!?
最後はドレスに着替え、問題に答え、レイナが決められる。
深夜1時まではがんばったが、一緒に来た友達が帰るというので、次の日仕事もあるし一緒に帰った。が、そんな時間でもまだレイナの決定はされず、
ミニレイナといわれる3~4歳の女の子達も舞台にいたのだった。
夜を楽しむラテン文化である。

次の日金曜はさすがに疲れて野外コンサートには行かず、休息。

11日(土)の夕方まずは闘牛を見に行った。
村の公園に仮設された闘牛場。
4時開始というので一応時間通りに行くが、始まらない。
ひたすら待つこと2時間、夜6時にやっと開始!ああ、すでに疲れが…。
(何かイベントがあるときに開始が遅いのは、開始までの間にビールやスナックを販売するためらしい。確かに、通常より高いのに売れてた。)
3日間開催された闘牛、私が見に行ったこの日はノビジャーダという見習い闘牛士による闘牛の日だった。
が、初めて見る闘牛、かなりの迫力!
計4頭の牛が出てきたのだが、2頭目のとき、若いマタドール(とどめをさす闘牛士)が2度も牛に倒され襲われ、相当ハラハラした。
背からどくどく血を流しながら走り、最後にとどめをさされて倒れる牛を見るのは怖かった。
完全にやられると耳を切られ(マタドールの出来栄えによって耳が与えられるそう)、馬の牽く台車にのって会場を去っていく。
おお!これが闘牛というものなのか!

いったん家に帰って一眠りした後、今度は“アマネセール ジャネーロ(平原の民の夜明け)”という野外コンサートへ。
ムシカジャネーロという平原地方の音楽とともに、その名の通り朝を迎えるのである。
深夜0時頃着いたものの、これまたちょうど1グループ目の演奏が始まった所だった。
ベネズエラタイムには慣れた…。

レイナルド・アルマという有名な歌手が招待されているとあって、村の皆が一番楽しみにしてたイベント。
時々降る雨にもかかわらずすごい人出である。
かなりどしゃぶりになったが、ちょうどステージの目の前の家に親しくしてもらってるおばさんが住んでるので、家に入れてもらい、ガレージや窓から見れるというVIP待遇。
さらに深夜になると酔っ払いも増えてきたので、結局ほとんど家の窓から見させてもらった。
有名歌手は3時に登場、4時半に出番が終わったが、その後もまた違う歌手が何人も登場。
眠気や空腹や疲れと戦いながら、ほぼ終了する朝7時まで見ると、なにか達成感のようなものを感じた…!!
さすがに日曜は休息。

13日(月)はいよいよサンアントニオの日の当日、
朝5時半からのミサ。
夜が遅けりゃ朝も早いから、もう体内時計はわけがわからない。
雨が降ってたので7時近くに着くと、ちょうどサンアントニオの像の山車を引いて村を歩き出そうというところだった。

エスタシオンといわれる休憩祭壇が15箇所くらいにあり、そこで停まるごとに祈祷や音楽の演奏やダンスがあった。

そして、かならずパンの振る舞いがある。
コーヒーやジュースなんかがつくときも。
私はカトリック教徒でも何でもないが、ちゃっかりほぼ毎回パンをもらった。
バターもジャムもついてないパンで飽きるが、持ち帰るように袋に詰めたりもしながら毎回ありがたく、いや、争うようにもらった。
市長(右)も一緒に歩いた。

なんとかお昼1時頃ゴール地点の広場に着いた。
結局この日もどしゃぶり。
それでもめげずに歩く姿に信心を感じ、
ゴール後に雨の中ミサやコンサート開始を待つ姿に、祭りへのやる気が感じられた。。。

これまた達成感を感じて家に帰った、その日の夜。
祭りのクライマックスのイベントである打ち上げ花火があった。
たいしたことないだろうと思っていたが、豪華にあげている!
家の屋上から1人で見ていた私。
打ち上げ広場にすぐ近いのに、周りには誰もいない…。
そんなシチュエーションに、花火に興奮するとともに、なんか切ないものを感じた。
夏の終わりの寂しさのようなものを花火に感じるのは日本人だけなのだろうか。
花火大会好きな私、日本では毎年何箇所も行っていた。
「来年は日本で花火が見れるんだな~」などと、
ふと日本のことを思い出していたのもまた、ちょっとセンチメンタルになった原因だろう。
とにもかくにも感動した。

ビスククイ、なかなかやるじゃないか!!