2011年7月27日水曜日

いろいろ食べてます。

食べるの大好き。
1週間のメニュー考えてると2時間くらいたってることがあり、ヘコむ
そんな私、最初の頃は現地人に
「米炊くしか知らないの?」
あるいは「まりえの食事は質素なのよ!」(と訳したが多分貧乏食とでも言いたげ)なくらい、ふりかけごはんだけ等かなり適当だった。
これは、毎日のように誰かしら友達の家でご飯をいただいていたことや、幼稚園の給食で栄養を採り、お腹もいっぱいになって夕飯がほとんど入らなかったせいである。
しかし、さすがに半年も過ぎると、だんだん現地の食材の調理法やどこで売ってるか等わかってきて、お宅訪問も減り、園の給食も無くなってしまったこともあり、いろいろな調理を始めた。

例えば、こないだ朝市で買ったもの…

これはチャジョタとよばれるウリの一種だ。
冬瓜を少しイモっぽくしたような味で、煮てたべると優しい味がする。

これはレモラーチャ(注:レの部分巻き舌で)
赤カブだと思う。サラダになってよく出てくるので、初めて買って作ってみた。
ペロっと4個分食べたら、翌朝う○こ後の水が見事にきれいな赤紫色になっていて驚いた。

これは豆腐ではない。
「ケソ ドゥーロ」とよばれる硬チーズである。
こちらの家庭にはかかせず、皆Kg単位で買い、どの家の冷蔵庫にも入っている。
他にもいろいろな種類のチーズがあって美味しいのだが、これが一番安くて定番のチーズである。


このように削って、パンやアレパに挟む、エンパナーダの具にする、スパゲッティーにかける、茹でバナナ・揚げバナナにあえる、豆とごはんのつけあわせに…と、大概の食事に登場する。
肉屋で売ってることが多く、生肉ついてたり、切ったら虫が入ってたりすることもあるが、気にする人などいない。一応洗ってから食べている人もいたので、私はそれに倣っている。

前は肉もほとんど買わなかった。
でも、隣の部屋に住んでる子にいい肉屋を教えてもらい、最近ひき肉を買っている。


ひき肉は大体の店ではすでに挽いてあるものが置いてあり、黒くなっていて、なんか古そうで臭そうで買う気がしないのだが、この店は頼んだ分だけそこで挽いてくれる。
「チーナ!(中国人女!)」と元気に呼びかけてくれる。
何度日本人だと説明してもわかってくれないが、気のいい人たちなのである。


新メニューも開発した!
~アピオのポタージュ ポップコーンを添えて~

アピオはイモの一種で、甘くて優しい味のポタージュが出来る。
そして、ちょうど幼稚園のフィエスタでもらったポップコーンが一袋あったので、入れてみた。
合う!
エクアドルに行ったときに、人々がスープにポップコーンを入れているのを見て思いつた。
ベネ人が見たらどう思うのかなと気になったが、隣人が見たものの何も言わなかった。
普通?

とかくメニューのバリエーションの少ないベネズエラだが、現地の友人の料理にもいろいろ…
これは、キャロットライスにフルーツポンチとあんこをのせた奇怪な料理。


嘘である。
煮込み野菜と、同じく野菜と煮た煮豆(塩味)である。
山へ何人かで遊びに行ったときに、その内の1人が作ってきてくれたものだ。もちろん美味しかった。

レンテハス(レンズマメ)のスープ。
友達が作った残りをくれたので、幼稚園の畑から野生のパクチーをとってきて入れて食べた。
豆はまだ自分で調理したこと無いが、皆よく食べているので、自ら調理せずとも沢山食べられる。

自炊するときには、電子レンジがないから、あとでどのように温めて食べるかも考えて作り、保存しなければならない。そんなことにも慣れてきた。

まだまだ食の探求は続く…

2011年7月25日月曜日

~撃沈!第2回講座の巻~

卒園式も終え、たいしてすること無いのに先生達はその後1週間出勤しなければならない。でも、その期間なら休園にせずとも講座が出来る!ということで、1ヶ月くらい前から先生向けの講座を1日と、フリマを1日実施しないかと園長に持ちかけ、いろいろな準備をしてきた。
前日は深夜まで準備をし、まあ、あんまり先生達来ないかもしれないけど、期待せずに、でも楽しい講座になるよう頑張ろうと久しぶりに緊張しながら家を出発。
7時に幼稚園に到着。

がっ!!
誰もいなあぁぁぁぁい!!
いや、正確には掃除のおばさんが1人と用務のおじさんが1人。
っていうか先生は!?
予定では7時~12時。これ、先生達の普通の出勤しなきゃいけない5時間そのままなんだけど。
少しして誰か来た!…と思えば書類を取りに来た保護者だし。
ショックで思わず同期ともちゃんにメール。
なぜなら偶然彼女も今日配属先の養護学校で講座を予定していたのだ。
すると電話が。
「うちも誰もいないよ!用務さん2人と保護者が1人いるけど…」
同じかーーーっ!!!
思わず噴出してしまった。
今日はなんなのだ!?もう夏休みになってしまったのか?!
「8時まで待ってみよう」と電話を切った。
7時半になってやっと1人先生が来た。
おお、夏休みでは無かった!
例え1人でも来てくれるならやろうと、準備を開始。
8時頃、ぼちぼち来だしたので、2~3人いるところで何となく始めてみた。
本当は最初の挨拶も時間やプログラムもちゃんと考えてたんだけど、仕方が無い。


その後、出たり入ったり先生達適当なものである。
約35人いる先生達のうち、常時5人程しかおらず、来た人を全員合わせても7人。
出勤しているのに「用事がある」と自分の教室にいる先生も何人かいた。
後で見に行ったら、前から書いとけっていうような出欠簿らしきもの書いてたり、しゃべってたり…。
私の存在をけむたがるかのような冷たい先生達…。
でもここで怒ってはいけない。
関係は悪くしたくない・・・

ところで、絵本が全くと言っていいほど無い幼稚園。私が翻訳した日本の絵本や図書館からかりてきた本も、どうも遠慮があるのか先生達は使ってくれない。まだまだ絵本は数冊しかないし、それなら、絵本購入の資金を得るためのフリマをやればいいのではと企画した。自分達の資金で買ったものならきっと使ってくれるだろうし、絵本購入代に徴収した分以外は各自の利益になるなら、きっと協力してくれるはず…と思ったのだ。先生達一人一人に予告し、親向けの宣伝ポスターも作成。販売品のアクセなども(1人で)コツコツ作った。
が!!!!
全く準備がされてる気配が無いのを見て、
「明日のこと心配なんだけど」と講座を見に来た(始めからいてくれ!)副園長に言ったところ、
「私もよ」
―?
「明日は出来ないわ。銀行に行かなきゃいけないのよ。」
―はいーーーーっ!!?
でたー!急な予定変更。
しかも銀行って!給料受け取るって、いつでも出来るじゃないか!理由になってない!
「今朝知らされたのよ~。私達も知らなかったのよっ。」
わざわざメールを見せながら、全く悪びれる風もなく言ってのかしてきた。
なんか、もとから中止にする気でいたんじゃないか…。

もういいよ。
わかったよ。
でも園長達よ、頼むから講座やってる途中に割り込んできて“今週のフィエスタ(飲み会)どうするか会議”を始めるのはやめてくれ…!!!

そして、なんとか講座を再開したものの、
「私達もう行かなきゃ」と2人の先生が出て行ってしまった。
残るは3人。
内2人の“まだ続けるの?”という眼差し…。
「もう終わりにしましょう。今日は無理よ。」とついに言われてしまった。
10時前に終了―――。
予定の半分も出来なかった。

撃沈。
いや、ここまで酷い結果に終わるとは思っていなかった。
楽しむ気持ちでやろうと思ってたから、なんとか先生達には明るく接していたものの…
終了後、先生が全員出て行ってしまい、1人教室に取り残されるとしばし呆然。
ああ、心が挫けそうである。
いや、なんかもはや笑えてくる。
でもこれで夏休み。
終了した安堵感もあって、帰りはそれなりに晴れやかな気分だった。
思えば悪いことだけでは無かった。
たった一人だけだったけど、持ち物に書いた布(風呂敷)持ってきてくれた先生がいた。
伝えたかったことの4分の1くらいは数人ではあるけど先生達に伝えられた。
関心を持ってくれた先生もいた。内容をノートにとっている先生もいた。

が、
道で友達に会って「元気?」と聞かれたので、冗談まじりに笑いながら「元気じゃない」と言ったら、「どうしたんだい!?」と真剣に心配してくれた友人。「いやいや…」とわけを話そうとしたら思わず涙が。あーやっぱりショックだったんだなあと気がついた。
でも、わかってはいたこと。仕方が無い。
「こっちで働くのって思うようにいかなくて難しくて…。でも日本に帰りたいわけじゃないよ。」とまた気持ちを持ち直し、別れた。

夕方また同期のともちゃんに電話した。
彼女も撃沈していた。
私とほとんど同じような結果。
そして2人で「これがベネズエラの田舎の学校の普通の姿なんだね」と妙に納得。
「いい経験したよ」おお、トモコマンなんと前向きな!
うんうん、そうだね。
夏休みは作戦会議だ!!

講座が終わったら自分へのご褒美に買おうと思っていたアイス。最近家のすぐ近くに出来たアイス屋で買ったはいいが、これではご褒美というか慰みである。
屋上にあるハンモックに腰掛けて食べた。超おいしかった。




2011年7月22日金曜日

卒園おめでとう

卒園式が2日間にわけてあった。
なぜ2日間か。
州と国の派閥のせい…?

さて、1日目は州所属の先生のクラスの卒園式。
エバンヘリコという宗派の教会内であった。
教会と聞いて、ステンドグラスにパイプオルガンに…
などと想像したら大違い。
音響室がありテレビモニターも設置され、ちょっとした集会場という感じ。
この宗派は偶像崇拝をしないせいだろう。


さて始まった卒園式、最初と最後に出し物があったのだが、ノリノリのポップミュージックにのってダンス。
あるいは陽気なサルサにのってダンス。


“仰げば尊し~”的雰囲気、皆無である。
そして、踊っている大半が小中学生なのだ。
日本の幼稚園だったら必ずあるであろう卒園生の合奏やら劇などは無い。
どうやら、卒園生の成長の発表の場は無いらしい。
それから証書授与が1人ずつなされ、なんとなくザワザワしたまま終了。

2日目は園のホールであった。
前日と同じような流れで、終了―。


式場の外には必ず写真屋さんが来ていて、卒業記念写真を撮れるようになっている。
欧米の大学生が卒業式で着るみたいな服の衣装をかりてパシャリ。


こんな具合に仕上がる。

さて、今回の卒園式を通じて気づいた事は
卒園式のときは先生の髪の毛が全員真っ直ぐになる
ということだ。
揃いも揃って皆真っ直ぐ。

黒人の血が濃いため普段はアフロヘアーの先生すら、真っ直ぐになっているではないか!
思わず「これは決まりなの!?」と聞いてしまったほどだ。
真っ直ぐな髪は美しいという、単なるオシャレの習慣だったが。


子どもは本来のカールを活かしたかわいいクルクルヘアー
先生が子ども達に自前のリップグロスをぬってあげていた。


幼稚園児でも晴れの日にはお化粧するのだ。
ピアスだって赤ちゃんのときからしているし、美的感覚は幼い頃から磨かれていくのだろう。
しかしあまりにどぎついメイクの子には、さすがに先生も「濃すぎよ」と顔を拭いていたが…。

その数日後、
ちょうど友達の家にいたら、翌日の息子の卒業式のためにアイロン(洋服用)で髪を真っ直ぐにしていたので、
「日本では結婚式やパーティーのときは皆髪を巻くんだよ」と言ったら
「えー!なんで?」と言っていた。
オシャレとはそういうものである。

2011年7月19日火曜日

年度末はフィエスタ三昧

こちらのお決まりなのか、年度末はクラスごとにフィエスタをする。
クリスマスだの開校記念日だの、何かと言えばフィエスタ。
そしてそのフィエスタ、先生はたいてい何もしない。
いや、しいていうならお菓子や軽食を配っている…。
音楽かけて、だらだらとお菓子を食べ続ける。
これ、お決まり。
そこに教育的意味はあるのか。
そんなこと考えたことある人いるのか。
習慣は習慣として行われれば、それでいいのか…


もちろん先生や保護者達が作ってきた軽食やケーキは美味しいし、準備をするのも大変だよなあと思うけど。幼稚園で炭酸ジュースやスナック菓子を振舞うのは、あんまり良くないんじゃないかと言いたい。


アロス・コン・ポジョ
チキンピラフみたいな料理。
おいしいとモリモリ食べて、作ってきた保護者に作り方聞いたら「もっといる?」とおかわりまでくれた。ん~、おいしい。

年度末のフィエスタでは、通知表の入ったファイル・子どもの作品帳・コテジョン(お菓子の詰め合わせ)・お祝いのプレゼント・メダルの5点がわたされる。




先生達、こういうの作るのには気合いが入る様子。
豪華に手作りされたものも結構あって、こちらも勉強になった。
それをもうちょっと子どもの製作活動に応用・指導してくれたらいいんだけど…。

今回は幼稚園外でフィエスタをするクラスもあった。
クラスによってなぜ日にちが違うのか…
理由の1つに、内部に派閥があることが考えられる。
国配属・州配属の先生達がいて、それにともない園長も2人いるという少々複雑な我が組織。さらにそれに人間関係が加わり、余計に派閥化。
全員を相手にしたいボランティア的にはかなり面倒な状態になっている。
まあ、フィエスタの内容としては、年度末だけあって結構気合が入っていた。
ブリンカブリンカと呼ばれる室内トランポリンがきたり、



ポップコーンや綿菓子の屋台、

高校生くらいの女の子達が何人か手伝いに来て、フェイスペインティングやゲームをしてくれた。


でも、もっぱら子どもと遊んでくれるのは、このお姉さんたち。
先生、何もしない…。
まあ、子ども達は楽しそうだったから、これはこれでいいのかも(!?)