2011年9月25日日曜日

手作り結婚式

任地の大好きな友達ミラグロは、すでに3人の息子を持ち、旦那さんのフレディとは15年ほど連れ添う仲だ。しかし、結婚してすぐ子どもが出来、お金も無かったために今まで結婚式をあげておらず、この度晴れて式をあげることになった。

村で一番大きなホテルにあるパーティースペースで手作りの結婚式。
会場設定などは当日に家族総出でやったらしい。
天井や暗幕に貼られた銀の星☆が幼稚園の子ども会みたいだったけど、とってもあったかいものを感じた。


裁縫が得意なミラグロはドレスだって手作り。
バージンロードは、まず若者がカップルになって一組ずつ登場し道を挟み、花嫁を迎える。

(この女の子達のドレスもミラグロが縫っていた!)
そして、花嫁はなぜか子ども2人と登場。
彼らは息子では無い。
フレディの前妻と彼女の現夫との間の子どもである。
わけがわからない!
なんと結婚式に前妻と彼女との娘、さらに彼女と新しい旦那との間の子ども達も招待していたのである。
これはアリなのか?
離婚後も良い関係が続いているならそれはそれで良いにこしたことはないが、花嫁の心境を考えると、どうしても複雑な気持ちに…
日本人的感覚には理解し難い。

それ以外には、日本も教会で式を挙げる人が多いせいか、ベネズエラ風の式にあまり違いを感じなかった。
誓いの言葉。
ブーケトス。
ゲットしたのは、フレディの前妻との間の娘さん。
うーん、私の婚期はまだ先の様子…。
彼らは飲酒が禁じられているのでお酒は出ないが、ケーキカットもあった。
それから、他の町の教会から招待された歌手達が次々と歌を披露。
ベネズエラ番ゴスペラーズの歌、めちゃ感動的だった。

もちろんベネズエラ人の生活レベルからしたら、これだけ手作りでやってもお金のかかるものではあるのだが、日本の本当にお金のかかる結婚式を考えると、もし私が結婚式やるならこういう感じがいいなーと思った。


2011年9月23日金曜日

Viva Mexico -4-


 


財布に続いて携帯まで失っていたことで、頭はショックでいっぱい…。
ヘコみながらも観光へ。

プエブラからバスで30分程の町チョルーラへ、世界遺産に登録されているトラチウアルテペトルという遺跡を見に行った。
ここには地下道があるのだが、2年程前から崩れて通れなくなっており、そのため遺跡の入場料も無料になっている。
無料とはいえきちんと整備されていて、人も少なく、芝生の中で久々に喧騒から離れ、とても気持ちよかった。
遺跡よりも芝生の気持ちよさと山々の景色、静けさが印象に残ったといえるほどだ。

プエブラへ戻って街歩き。
エルパリアン市場というお土産屋さん街へ行くと、なんとお客のほとんどが日本人!
どうやら団体客のようだ。
さすがメキシコ、首都の近くまで来ると日本人ツアー客いっぱいである。
近くのオープンレストランに入り鳥肉のモーレソースがけを食べた。
モーレソースはメキシコ料理の傑作と言われるが、なんとも言い表しがたい、日本人には馴染みのない味である。
お腹いっぱい、首都へと向かった。

メキシコシティでは、また前任者の家にお世話になった。
世界の協力隊員のうちでも、現地での任期がかぶってるわけでもないのに、こんなにも前任者にお世話になっている隊員も少ないだろう。

前任者Iさんとその同僚である同居人の方は出勤のため朝6時には家を出る。
メキシコはサマータイムを導入しているのだが、そのせいで朝7時近くでもまだ外は真っ暗。
ソカロへ着いたものの何も開いていない&寒い&暗い、っていうか誰もいなくて怖い…。
唯一開いていたカフェに入り、2時間ほどホットチョコレートを飲みながら旅日記を書いて時間潰し。
こちらのホットチョコレートはかならずシナモンが入っているようで独特の風味がある。
寒かったがおかげであったまった。

カテドラル→国立宮殿→文部省見学。
ディエゴ・リベラやシケイロスによる多くの壁画を見た。
観光をかねて歩きながら民芸品屋が何十件もあるシウダデーラ市場へ。
ちょっと不出来で雑なんだけど、カラフルな色合いや独特のメキシコセンスで、かわいいものがたくさん!!

ビールの王冠ピアス
新婚の妹へのお土産に、ここでガイコツ夫婦を購入しておいた♪
最後に世界遺産に登録されているメキシコ国立自治大学(UNAM)へ行った。
中央図書館の壁4面がオルゴマンによるモザイク壁画で覆われている。
大学に近づくにつれ図書館が見えてきて、遠くから見てもすごい存在感だった。

迫力!
Iさんの家に帰ると、ポソレというスープの店に連れて行ってくれた。
豚の頭でとった濃厚なスープに豚肉や大粒のトウモロコシ、赤カブが入ったハリスコ州の名物だそうだ。
豚骨ラーメンのスープが少しさっぱりしたような味で、豚肉はチャーシューのような感じで、めちゃくちゃおいしかった!!!
私の中でメキシコ料理No1かもしれない。

メキシコでの最終日は、Iさんの現在の勤め先である日本人学校の幼稚園を見学させてもらった。
彼女のクラスは日本人とメキシコ人の子どものミックスクラスで、先生も日本人とメキシコ人が一緒に担任を持つ。
2ヶ国語での保育が一体どんな風に行われるのか、見てみたかったのだ。
Iさん、子ども達に対しまるで同時通訳のように日本語で説明した後スペイン語で話す。
メキシコ人の先生も少し日本語がわかるらしく、Iさんの話や絵本の読み聞かせの後に、すかさずスペイン語で同じように説明。
すごいチームプレーにびっくり!
事前にしっかり保育案が話し合われているせいもあるだろう。
保育内容としては日本の幼稚園と変わりないが、2カ国後での保育の仕方はとても興味深いものだった。
「センセイvamos a comer オベントウ(先生お弁当食べよう)」などとメキシコ人の子どもが日本語交じりで言うのもおもしろい。
クラスの大部分は日本人。久しぶりに日本人の子ども達と触れ合って、いっぱい元気をもらった。
取り囲まれていっぺんに喋られても、言葉がわかるから余裕である。
私に対して人見知りすることなくすぐになついてくれ、かわいく見えてしかたなかった。
ベネズエラの子どもだってかわいいが、完璧に言葉がわかるということが大きいのだろうか。
家庭や保育、育ちの違いもあるだろう。
日本の保育園に帰るのが楽しみになった。

なんだかとても満たされた気分で空港に向かい、
いろいろあったけれど、充実感と満足感とともにメキシコを後にした。


2011年9月22日木曜日

Viva Mexico -3-

グアダラハラからメキシコシティで飛行機を乗り継ぎオアハカへ向かう。
急にメキシコシティからの便が欠航になってしまい、1本遅い便になったが、2時間程度遅れただけで無事到着した。
オアハカは遺跡あり・コロニアルな町並みあり・インディヘナ(先住民)ありの見所多き観光地である。
道行く人も三つ編みヘアーに民族衣装といった人が増え、雰囲気が他の町と随分変わった。
まずはモンテ・アルバン遺跡観光
その後市場へ向かった。
チーズの産地として有名なオアハカ。
ボール型に固められたチーズがたくさん売っていた。
食用に調理された芋虫やらバッタのような虫もたくさん売っていた。
半端ない種類のトウガラシ!
夕飯は屋台でタコスの上にチーズや豆やらをのせたものを食べた。
弾力のあるチーズがおいしい!日本の“さけるチーズ”にちょっと似てる(?)
が、朝方お腹を壊す。連れのジャックさんもお腹を壊す。
原因、チーズかな…

オアハカ2日目は近郊の村や遺跡見学へ。
まずはサポテコ人を中心に約2万人が住んでいるトラコルーラという村の日曜市へ。
沢山の屋台!カラフルな民族衣装の人々。
衣装にも何種類かあって、きっと出身村ごとに違うのだろう。
特に何も買わなくとも、歩いているだけでとても楽しい。
パンツの斬新な陳列方法
靴下を買ってみた。

続いてミトラ遺跡へ。
自然や動物を表した幾何学模様の石細工が特に興味深かった。

最後に向かったのはイエルベエルアグア。
石の様に固まった滝や天然プールがあるという。
そこへ車で向かう道のりは険しい山道。
メキシコらしい山々の景色が広がり、とても美しかった。
もちろん着いた先は絶景!
しかし、なかなか乗り合いタク
シーに人が集まらなかったせいで(しかも結局2人だけで乗ったので高くついた)、着いたのが遅くなり、あんまり観光時間がなかった。
早々にそれらを後にし、再びオアハカに戻った時にはすっかり夜だった。

レストランで夕食をとろうと出かけると、独立記念日の続きなのか、なにやら聖堂でイベントがやっている。
オアハカの歴史や特色の映像が聖堂の壁に映し出されて、ドラマチックに紹介されていた。
ひとしきり観賞した後はレストランで土鍋のチーズフォンデュやメキシコビールを堪能。
さて、支払おうとすると、
サイフがない!!!

あ、聖堂の写真撮ってたときか!?
カメラを出すときに落としたのか、はたまたすられたのか…
人ごみの中無用心だった。
反省―。
普段ベネズエラではめちゃめちゃ気をつけているのに、
“メキシコはベネズエラより安全”という妙な安心感で気を抜いていたのだ。
観光地だからこそ気をつけなくちゃならないのに…
あ~やってしまった。

翌日はちょこっとオアハカ観光。
ここオアハカはメスカル(テキーラ)の産地として有名。
とくに、芋虫入りのものが名物らしいので購入。
なんかスモーキーな味がする。これが芋虫味なのか?!

オアハカはアイスも有名
TUNA(サボテンの実)味とベソデアンヘル(天使のキス)味を注文。
どっちもウマ~!

ニカラグアへ帰国するジャックさんは飛行機で首都へ行くので、ここでお別れ。
昨日の財布の盗難証明書をもらおうと警察に聞いたところ、どうやら観光課でもらえるらしいので向かった。
無事発行されたものの、現金は保険が下りないことに後日気がついた。
せっかく観光課まで往復し、手続きに時間割いたのに…
まあ、これもまた経験である。

ここからはまた1人旅。
プエブラへバスで向かった。
プエブラは首都メキシコシティに近く、コロニアル都市・メキシコ料理・タラベラ焼きという焼き物などで有名な観光都市である。
夜に着いてしまい、さらに市バスはホテルのあるソカロを通らないという。
だが、バスの同乗者が偶然ソカロのホテルへ行くと言うので、バスを降りた後ホテルの近くまで一緒に歩いてくれた。
もう10時頃だったがお腹がペコペコ。
さすが都会、ホテルの近くにコンビニ(もちろん24時間営業!)を発見し、カップラーメンを購入。
1人安ホテルでルチャリブレ(メキシコのプロレス)を見ながらカップ麺という男くさい夜を満喫していたとき、ふと気づいた。
何日もケータイを見ていないことを…。
そういえば、5日前に見たのが最後の記憶。
あれ?
無い、、、。
携帯がないーーーー!!!!

どうせ電波も無いしとバックパックの中に閉まってしまったのが間違いだった。
ホテルの部屋か、バスか飛行機で預け荷物にしたとき盗まれたか…
何日もチェックを怠っていたため、いつどこで盗られたかすらわからない。
ああ~やってしまった!

恐るべしメキシコ!

2011年9月21日水曜日

Viva Mexico -2-

グアダラハラは植民地時代の歴史ある建物を残しながらもメキシコ第2の都市という大きな街である。
着いたのは夜だったが、泊まったHospedarteユースホステルではちょうどテキーラパーティーが開かれていた。
グアダラハラはテキーラの産地の近くで有名なのである。
1杯だけいただいた。強いけど、飲んだ後にレモンをかじると爽やか!


疲れ果てていたため1杯で酔っ払い、すぐ寝ようとすると、部屋の目の前の庭で夜中まで大騒ぎカラオケ大会(!?)が続き、なかなか熟睡出来なかった…。

翌日はちょうど独立記念日で祝日にあたっていた。
わりと楽観的な私はあまり心配していなかったのだが、いざ出かけると観光名所が見事に閉まっていた!
行くところ行くところ全て…
世界遺産なんかも見ることが出来ず、非常に残念だった。
しかし、市場などはやっていたので観光がてらウロウロ…。
市場の食堂街に行くと、意外と日本食屋が多いことにびっくり!
海からは離れているのに魚介を扱う店も多い。
一番お客が多い店に近づくと、中国人っぽいおばちゃんがいた。
日本食屋だから日本人かなあなどと考えながら近づくと、
「ニホンジンデスカ?」と声をかけてきてくれた。
彼女の名前はながとめふみこさん。
ご両親が日本からやって来た日系2世。
魚のスープや魚介のマリネをのせたタコスを注文すると、どれも美味しい!!
さらに、海老をおまけでいれてくれ、ジュースもサービスしてくれた。
最後お勘定しようとすると、
「お代はいいわ、また来てね」と、いくら払おうとしても受け取ってくれなかった。
こんな日本から離れた国の首都からも離れた町の雑多な市場の中で、日本人が頑張って働いていることを知って、ふと何とも言えない気持ちになった。
そして同じ日本人に対してとても親切にしてくれたことに、なんだかとても感動した。
若干グアダラハラまで来たことを後悔していたのだが、いや来てよかったと思わせてくれる出会いだった。


ソカロ(旧市街の中心地)へ行くと独立記念日ということで、屋台が出ていたり、顔にペイントしている人がいたりととってもお祭りムード!

ひとつ私も国旗柄のつけまつ毛でもしようと、売り子のおばちゃんに声をかけた。
が、おばちゃん、目の上のくぼみを指して言うには
「あなたの顔にはつけられないわ…掘りが深くないと…」
―がーん!!断られた!
なんとも申し訳なさそうに言われたことがまた悲しい。
確かに自分もろ日本人顔ですが。
でも試しにつけてみてくれたっていいではないか!

一緒に独立記念を祝う気持ちがちょっと冷め、町を散策に出かけた。
結構町は近代化されてしまっており、ちょっとした美術館と、ルイスバラガン建築のカフェへ行ったあたりで雨が降ってきてしまい、観光は終了―。
夜は若者集うバーに行ってメキシコ産ビールで乾杯♪


お通しのチップスでお腹が膨れ、ビール小瓶1本で2時間ほどねばって帰った。
しかし、やはりそんなものでお腹は満たされなかったらしく、
夜中にお腹がすいてしまって、今夜もまたなかなか寝付けないのであった…。