2011年10月29日土曜日

慈善活動

教会の慈善活動で障害者の人たちに夕食を贈る活動をするというので、これは村を知るいい機会と思い参加させてもらった。
箱にフルーツや自家製ヨーグルトなどを詰めワゴン車に積み込む。
車は満員だったが、ちょっと無理を言って荷台に乗せてもらい、一緒に連れて行ってもらえた。
計20軒近くの家を訪ねたのだが、一同ショックを受けていた。
“病気であれば病院に行って、よその人とも触れ合える。でも、彼らはずっと家にいて、助けも訪れてくれる人も無い”と。
何年も寝たきりの子ども達。
ろくに動けない1人暮らしの老母。
もちろんこの活動は市役所の障害者名簿を見て行われたので、リストがあるということは何らかの援助がされているとは思うのだが。
外に出られずにいる障害者の人たちと、その介護をする家族達の孤独さを思うと皆胸が痛んだようだった。
それでも、介護する家族の温かさを見るたびに少しほっとし、また、多くの人が助けを必要としていることがわかってとてもいい活動になったと語っていた。
市役所や教会の連盟に援助を請願しようと新たな活動もされそうだった。

でも、ブロックむき出しの貧しい家の薄暗い部屋の中で、感情を表すこともなく宙を見つめていた少年の姿はきっと皆の胸に焼きついたと思う。
私には何ができるのか。
多くのことを考えさせられた1日だった。

2011年10月22日土曜日

大学講師デビュー

我が任地ビスククイは人口2万5千人(推定)くらいの村だが、大学が3つある。
しかしどの大学も校舎を持っておらず、小学校や中学校の校舎を使わなければならないため、通常授業は夜か土日に行われている。働きながら、あるいは実習しながら勉強するには都合がいい。
そのうち1つの国立大学の教育学科で講師をすることを頼まれた。
ことの起こりはJICA所長が任地に来た際、市役所での会議の折に配属先文化センターの長が「大学で講義をしたらどうか」と提案してくれたのだ。
早速大学のコーディネーターと連絡を取り、教授と打ち合わせ、すぐに2つのクラスで翌々週に講義の時間を取ってもらえた。
が、この大学全国各地にあるのだがレベルが低いことで悪評が高い…。
教授と書いたが、普通のおばちゃんが授業をしているといった感がある…。
先生は真面目でいい人達だったが、一般教養を教えている様子を見ても、専門知識が無いようでなんだか小学校の授業を見ているような感じがしてしまう。基礎教育(幼稚園と小学校)を教えているという2つのクラス、教授は2人とも幼児教育の現場経験が(多分知識も)無いので、一切幼児教育法は教えられていない。
そこで私の出番となったのであろう。
初日は折り紙を教えることにした。
「遊びを通して教える」ことを学生にも楽しみながら学んでほしいかったからだ。

しかし、講義を始める前にまずしたことは、日本紹介!
世界地図を広げ、「ベネズエラはどこでしょう?」と質問してみる。
2列目の席の学生「よく見えません」
とんだ言い訳である。
南米に位置することくらい、南米大陸の形くらい、わかっててくれ!
なるほど、アジアのことなんて何もわかっているはずがないと納得。
日本と中国は違う国であることなどを説明し、授業に入ったのだが、それでもあいかわらず「チーナ」とよんでくる学生がいる。
教授に対して見かけに由来した呼び方をするなんて失礼なことだって、なんで気がつかないんだ。
教授が「彼女はマリエよ!」とすかさず言ってくれるが、これまた小学校レベルである…。

さて、講義では簡単な折り紙を教えたのだが意外に難しかった様子。
長方形の雑誌から正方形を切り出す方法も誰もわからず、手本を見せてからでさえ質問が絶えなかった。
しかし中には興味を持ってくれた学生もいて、やる気のある人もいることに希望を感じた。
それでも配属先の幼稚園の先生達よりはよっぽど聞いてくれていたわけだが。
折り紙の教育的効果や、遊びを通して教えることの効果を説明し、終了。
午前・午後と2クラスでの講義を無事終えたわけだが、大学で教えるには自分の語学力がまだまだ足りないと痛感、反省して大学を後にした。

2011年10月5日水曜日

男はつらいよ

男女差別…
ベネズエラでは“マチスモ”といわれ、まだまだ家庭内では男性優位であるようだが、
日本人ボランティアにとっては、逆である。
概してベネズエラ人男性は女性に優しい。
中国人蔑視はあるが、日本人女性に対して優しくしてくれる人が多いし、
愛の告白メールやら電話やらをしてくる人も多い。
が、男性には厳しい。
特にアジア人は…。

<我が家の家主ペドロの場合>
今まで何人かの日本人女性が我が家に来た。
先輩隊員Hさんが来たときは、あれやこれや質問したり、ハンバーガー屋につれていってくれたり、下ネタ連発したり(かなり不評)。
また、先輩隊員Kちゃんが来ると、大きく抱きしめ、それはそれは大げさな挨拶。
(本性を知る者としては、ああ、気持ち悪い―としか言いようが無い。)
はたまた日本から知人が来たときは、別荘へ連れていってくれ食事や散歩をした。

が、
男に対しては「どうして親切にしろっていうんだ!?」と本人が言うくらい、ひどい。
昨晩任地に帰るバスが無くなってしまい、同期男性隊員Dくんが我が家に来た。
ペドロ、一気に険しい顔になり
「いくらでも払えば帰る方法はあるだろ」と投げやりな言葉をかけて、
“今すぐ帰れ”とでも言うように去って行った…。
この違い…あからさますぎる…
以前彼が来たときにも、挨拶はおろかほとんど無視状態。
お土産を持参し、親しくなろうと努める彼に対し、
「髪型が女みたいで変だ」等と散々失礼なことを言いまくってきた。
だから、今回の対応も予想はしていたが、
同期Dくん曰く「想像以上だ…」
そして最近訪れたいくつかの他の隊員の任地の人の良さや住環境の良さを語っていった。。。

はああ―。
なんか落ち込んだ。
私の村にもいい人だって多いのだが、せっかく来てくれてもこの対応じゃあ嫌な村にしか見えないだろうと悲しくなったし、なんでこんな冷たい人の家に住んでるんだと悲しくなってしまった…。

さらに、男性ならではの損な話が続く…
例えば市場などでは、
「タダでいいよ!」とか「君に恋をしてしまった」とバラをおくられる私に反し、
「高く売りつけられます」
離れた親戚の家や旅行への招待がある女性隊員に対し
「どこかに連れて行ってもらうことないなあ…」

今までも、差別を受けた男性隊員の話を聞いたことがあり、
ひどいと石を投げつけられたり、川に突き落とされそうになったり、殴られて怪我したり等、
男性隊員の苦労と孤独が偲ばれる…。。。

だからベネズエラ男性隊員は皆痩せていってしまうのか!?
強く逞しく、頑張れ日本男児!!