2012年3月31日土曜日

ビスククイ日本祭~準備編~

ずーっとやりたかった任地での日本文化紹介イベント。
同任地の後輩隊員かなちゃんとともに、昨年の8月頃から市役所(配属先文化センター)のイベント係クルスと企画を相談し始め、年明けから場所・日時・内容などを決定。3月から本格的に準備を始め、ついに実現するにいたった。

内容の一つとして、世界の協力隊員にお馴染みの、よさこいソーランを踊ることに決定。
任地で踊りたくて日本からCDを持ってきていたのだ。
こんなこともあろうかとネットから動画を落としちょこちょこ練習していた。
特に寒い日にはソーランを2回も踊れば汗をかくのでそれから水シャワーを浴びるなどしていた。
さて、誰と踊ろうか?
クルスから文化センター管轄のテコンドー教室を紹介された。
なぜならそこの生徒達はすでにテコンドーから『礼』を学んでいるし、アジア等の外国文化に興味を持っているからだという。
それはいい!
それに、よさこいソーランは簡単な動きに見えて結構きつい踊りだが、テコンドーで鍛えている彼らなら大丈夫だろう。
テコンドー教室は毎日大体夜6時~8時。
1月から週1回のペースで通い、ソーラン節を教え始めた。
踊りの内容もちょっと改造して、子ども達や先生と相談して、テコンドーの動きを取り入れるようにした。名前も「テコンソーラン」と命名。
さて、練習初日、太腿めっちゃ筋肉痛!
かなちゃんは階段降りるのもやっとという状態で「ああ、痛い~!」と変な歩き方をしていた。
そんな私達だったが、3月に毎日通い始めた頃には、すっかり腰を落として踊れるようになり、いつしか筋肉痛は感じなくなっていた。
もちろん疲れるが…
しかしテコンドー教室の子達は皆いい子達で、教室に行くと活動への元気がもらえ、回を追うごとに踊りが上手くなっていく様子を見るのも楽しかった。
そして、概して失礼な人が多いベネズエラ人に対して、武術は礼儀を学ぶのにとても良いと実感した。

日本文化といえば折り紙。
折り紙を教えたいものの人出が足りない…。
そこで、手工芸センターのセニョーラ達に前もって折り紙講習会を実施し、当日教えに来てもらうことにした。
たくさん教えるのは大変なので鶴一本でいくことに。
「難しい」「出来ない」と苦戦するセニョーラが多い中、1人のセニョーラが出来るようになると“私にだって出来るはず”と競争心が刺激されるのか、他のセニョーラ達も諦めず何度も折り、結果皆折れるようになった。
カウボーイ風なおじさんも登場し、セニョーラに鶴を習っていた。
何とほほえましい!
“教えあう”これ重要。
JOCVの仕事である“技術移転”まで出来て、この企画大成功だった。
当日はセニョーラの周りに常に子ども達が集まっていて大盛況だった。

幼稚園でも子ども達と活動していると見せかけて実は日本祭用の物作り。
一石二鳥である。
魚釣り用魚作り(結局やらずだったが)
門松作り

何しろ直前一週間前からは時間が無かった。
なぜか開催6日前である土曜に急に39度の発熱でダウン。
週末土日に準備大方進めるつもりだったのに…!!
そんなこんなで、月曜からは毎晩夜中まで準備。
日本語やアニメについてなど、かなちゃんと協力して壁新聞をいろいろ作った。

日本のファッションについて

開催前日に2人の隊員が駆けつけてくれ、長距離移動で疲れてる中夜遅くまで寿司作りを手伝ってくれた。仕事の大方は皿洗いだったが…。
というのも、環境に優しいイベントにするべく、幼稚園のイベントで大量に出たプラスチック皿のゴミを洗って再利用したためである。200人分くらいの皿・コップ・フォーク…
レストランの皿洗いのバイトごとく洗いまくってくれた。

子ども達も準備や片づけを手伝い、時に邪魔してくれた。
桜の花びら貼り
飾りに桜の木を作った。
グァバの木の葉っぱを全て取り除き、ピンクに染めた紙を桜の花の形に切って貼り付け。
完成品
他にも、今回祭に向けてはいろんな人協力してくれた。
家主フアナは日本食試食用の豆を煮てくれ、友達ミラグロは自分で作った風呂敷や折り紙を展示用に持ってきてくれ、さらに片付けやご飯の差し入れまでしてくれた。幼稚園の先生のクレイミーは壁新聞作りを手伝ってくれ、手工芸センターのセニョーラは飾り用の花を作ってくれた。かなちゃん家の家主デリアは桜の木にするための木をわざわざ運んで来てくれた(手で!)近所の村人はこれまた飾りにするようの竹を切ってくれたし、友達シルビアはソーラン用のはちまき作りを手伝ってくれた。
などなど。
数えあれば切りが無い。
こうして羅列してみると、協力隊ならぬ『協力してもらう隊』ではないか!
ありがとう!!!

2012年3月15日木曜日

爆走聖アントニオ

任地ビスククイの守護聖人であるサン アントニオ。
この聖人が友人シルビアの母フアナの家に来てお祝いするというので、(こっそり)仕事をサボって行ってきた。
ビジャローサという山の上の村に住むフアナの家へは何度となくお邪魔しており、いつもはシルビアの旦那さんエルナンの運転でつれてってもらうのだが、今回は彼ら先に行ってしまっているため自力で行かなければならない。
一応ビスククイから公共のミニバンがあるのだが、ちょっと山の麓まで登ってヒッチハイクで行くことに決定。
前に挑戦したときは運良くビジャローサまで行く老夫婦に乗せてもらえたが、さて今回はどうか…。
まず1台目ゲット。ちょっと上までしか行かなかったが、降りて歩いているとすぐに2台目ゲット。
これもまた少し上までしか行かず、いよいよ深くなってきた山道を1人テクテク…。
3台目は40分程乗せてもらいかなり近づくことが出来た。
大分上まで来たので寒く、なんだか小雨も降っている。
4台目は建設用の小岩を沢山積んでいたが、助手席に乗っていたおじさん、自分は岩の上に座り私を助手席に乗せてくれた。なんて優しさ!田舎の人は親切だ。
いよいよあと少しというところまで乗せてもらえたが、まだ歩くには遠い…。
全然車も通らない…と思ったらバイクの音が!
運良くシルビアの息子と甥っ子だったので、乗せてもらいようやく到着することが出来た。
車4台+バイク1台乗り継ぎという長旅!おもしろかった!わはは。

ビジャローサはビスククイコーヒーの大産地。
ちょうど花が咲く時期だった。
コーヒーの花

着いたら早速アレパやら焼肉やらを食べさせてもらえた。
鍋ではジュカを茹でていた。
ふたはバナナの葉っぱで
と、そこにトラックに乗って運ばれてきたサンアントニオ像登場!
が、ソッコー家の前通過。
―え!何で?早すぎ!これだけ!?
と思っていると、どうやら7軒の家を順に回って、最後にフアナの家に到着するということだった。
しかし、ここは山の中、一軒一軒が離れているので皆車で移動。
シルビアの親戚らしき男性がバイクに乗せてくれたので、一緒に回ることが出来た。
でこぼこの泥道、急な坂もありスリリング!
皆スピードこそ出さないもののクラクションをパーパー鳴らしまくって暴走族状態。
聖なる雰囲気などしやしない。
バイク上での撮影のためブレてます。
なぜか帽子をかぶせられてチャーミングなアントニオ

ハワイアンなアントニオ

簡単な飾り付けがされた家に着くごとに歌や踊り、お祈りが行われる。

パンや飲み物の振るまいもあって、お腹パンパンである。

子ども達も参加
7軒目にフアナの家に着き、大勢の人が集まって、長いお祈りの後サンアントニオのダンスが踊られた。
長い丸太のような太鼓

たっぷり1日楽しんだ後、夕方6時、シルビア達がもうビスククイに帰るというので、夕食を食べて車に乗り込む。今日は一日食べ続けである。

ビジャローサの道はまだ舗装されていないため、車はかなり揺れる。
胃の中シェイキング。
―う、なんかお腹痛い。
夕飯をがっつり詰め込んだ後すぐに車に乗ったせいだろうか。
まだ乗ったばかりなのに!ビスククイまでは1時間ちょいはかかる。
何度と無く迫り来る痛みの波。
「マリエ寝てるの?」と助手席からシルビアが。
「いや、起きてるよ」と答えると、
「やけに静かねー。」と気にせずまた同乗者達とおしゃべり再開。
「………。」ああ、言うに言えない…。
いよいよ麓まで来た頃、もう我慢出来ない!
「ううーお腹痛いよー、止めて~下ろして~」と言ってみる。
「え!お腹痛いの?だから静かだったのね。食べすぎよ~」と一同「ぎゃははは!」
こっちは笑うどころではない。
「あと少しで家だよ」と止めてくれない。確かにあと5~10分くらいの距離である。
が、ああ無理!「ううー」私半泣き状態。
運転していたシルビアの息子スピードアップ!夜道もカーブも爆走である。
シルビアにスピード出しすぎと言われるも、
「緊急事態だー」と飛ばしてくれた。
ああ、ありがたや、どうぞ飛ばしてくれ、もっと急いでくれ。
もはや安全などどうでも良い。
そしてなんとか家にたどりついた。
全く冷や汗かいた。
サンアントニオの日、侮りがたし…!!!