2012年6月20日水曜日

ただいま日本!~逆カルチャーショォォック!~

ついにその日はきた。

あっという間の2年間。

しかしされど2年間。

帰るというよりはもう「新天地日本へ上陸!」とでもいうような気分だ。

こ、怖い…。ひたすらのんびりぐーたらしていたベネズエラ生活。

日本社会に馴染めるだろうか、職場に復帰してももはや慣れられないのではないか…!?

お土産いっぱい


最後の5日間を首都のカラカスで過ごしたわけだが、隊員誰も見送りに来やしない。(私の赴任以来初!)

なんだか物凄い下痢になってしまい外食も出来やしない。

ちょっと出かけたって慌ててデパートのトイレに駆け込む始末である。

なんとかJICA事務所や大使館、JICAの受け入れ先である企画財務省等々への挨拶を済ませ、

ずっと行ってみたかったシモンボリーバルオーケストラを見に行き(なんとタダ!社会主義万歳!)

着いたばかりの頃通っていた語学学校の先生に手作りカレーをごちそうし、

感傷に浸る暇など無く、バタバタと過ぎていった。

ベネズエラブランドのベネズエラモチーフTシャツ購入♪

しかし、ベネズエラの空港から飛行機が飛び立った瞬間、色んな思いがこみ上げてきて、なかなか涙が止まらなかった。

隣に座っていた同期大ちゃんは、その隣に座っていた中国人のおっさんと身の上話に花が咲いていた。


フライトは、一番安いエアーカナダ。

さて、乗り継ぎで降りたカナダのトロントですでにショック!

日本人がいっぱいいる!!

トイレに紙が流せる!!

なんか、もはや全てが違う…!!

泊まった安宿

そしてついに成田。

家へ向かうため一人電車へ乗り込む私。

乗客が皆日本人だ!

乗ってくる人も降りる人も皆日本人ではないか!

標識だって車内アナウンスだって、全て日本語である!

こ、これはすごい!!!

私、一日本人。全く目立ってないし!

人が多くて頭クラクラ、光が強くて目チカチカ。

その違和感は3日間続いた。


帰国から3日目に携帯を買った。

行く前にはほとんどなかったスマートフォン。

Iphoneゲットで現代人。



久々の下北沢をウロウロしてると、お店の店員さんや駅員さんがとっても親切で丁寧で物凄く真面目に感じた。

ひいては町の人々まで礼儀正しい。

感動、日本人ってすごい。

でも、ちょっと泣きたいような気持ちにもなった。

真面目に働く彼らの健気さに、何か切なさのようなものを感じたのかもしれない。

もっと適当でもイイのに…。

すぐにまた日本にも慣れてしまうだろうけど、

この感情は忘れてはいけない。



そして大切な家族や大好きな友だちが、この国にはいる。

やっぱりここが私の国だ。



ただいま!!





―完―

2012年6月13日水曜日

ありがとう さようなら

任地を発つ日まで、いよいよ残り1週間。

部屋の片付けや荷造りに追われながらも、村の友だちとの最後の時間を大切に過ごした。


金曜の午後から、大好きだったビジャローサにも行ってきた。

土曜には後輩隊員2人が遊びに来てくれ、夜、初めてトロコレアード(馬上から牛のしっぽを引っ張って倒す闘牛)を見に行った。



それから日曜には、地域コミュニティの学校(音楽教育や職業訓練)の開校式に行った。



その夜は家主のペドロが送別会を催してくれた。

お決まりのバーベキューをしてビール飲んで、歌った。



一時期はケンカしてブチ切れ何ヶ月も口をきかないなんていう時期もあったが、最後はきちんと和解した。

憎めない人だった。
家主の息子や甥達


月曜には、ちょうど祭の時期の直前で、移動式の遊園地や屋台が来ていたので遊びに行った。


ルーレットに挑戦!

たくさんある数字のところにお金を置くと、その数のところに玉がとまったら置いた額によって配当が変わる。

例えば、最低額は2BsFで、勝ったら28BsFもらえる。

たまたま(覚えてなかったけど)会ったことがあるというおじさんが勝ったお金から20BsFをくれたのでやってみたのだが、2回目の賭けですぐに勝ち、おじさんにはすぐに全額返すことが出来た。




出発の前夜、家族のように親しくしてくれていたミラグロの家で、送別会をしてくれた。

7時頃家に着くと、皆総出で準備中(笑)!

リクエストしていたピザや軽食

いつもと違うデコレーションしてくれたケーキにゼリー



サプライズなんだけど、着いた時にはまだ製作中だった大きな似顔絵つきメッセージや思い出のビデオ…



胸がいっぱいでどうしていいかわからなかった。

嬉しかった。

もちろんビデオ上映で泣いた。





その後は同じく娘のようにかわいがってくれたシルビアの家へ。

その日から村の祭のイベントが始まり、その日はちょうどミスビスククイを決める日。

家の真正面が会場なので窓から見させてもらった。

そこでちょっとした事件が。

会場のスピーカーからの振動でなんと寝室の聖像2体が棚から落ちて粉々に砕けてしまったのだ!

不吉!!
いやいや、
それは交通安全の聖人らしいので、“あたしの身代わりとなって落ちてくれたのではないか、だから私の飛行機は安全に飛ぶ…”などということにしておいた。


さらにはベッドの棚の上にあった物もほとんど墜落していた。

音デカ過ぎである!!

シルビアは眠いと言っていたけど夜中まで起きててくれた。

寂しいと泣いてくれた。

この夜が終わって欲しくなくて家にいたんだけど、夜中3時過ぎ頃には帰宅した。



迎えた6月13日、

ビスククイの一年で一番大きなイベント、聖アントニオの日。

フライトを夜の便にしてもらえたので、出発は午後。

毎年聖アントニオの日は雨が降ると言われている。

去年同様、今年も例にもれず大雨だった。

自宅で家主のフアナや隣の部屋の住人エステファニーと最後のおしゃべり。

2人ともお餞別にピアスとネックレスをくれた。

優しくて、煩い干渉をしてこない良い人たちだった。



それから、川と化した道路を渡り、ミラグロの家、シルビアの家へ最後にもう一度挨拶へ。

最後はなんかもういつも通りに過ごし、大荷物だったので昼過ぎに友だちに車でバス停まで送ってもらった。

が、バスの発車を待つことなく彼らは去って行き、別れのサッパリ感やあっけなさを感じながら一人ビスククイを後にした。

バスはガラガラ、乗客はほとんどおらず、おかげで荷物と合わせて6席も占領出来た。

貸し切り状態のバスから見える景色が名残惜しくてビデオに撮った。


去る寂しさもあったけど、日本へ帰るワクワク感も感じていた。



ありがとう 

さようなら