2011年12月4日日曜日

国際学会デビュー

祭を終えた翌朝、他の隊員を見送った後、私のみ残って同期隊員ともちゃんの活動先の養護学校を見学させてもらった。
数人の先生を除き、
見事に
やる気が無い!
―同じだ。
憧れの生活を送る同期だが、職場のレベルは同じことを確認して安心。
自閉症児のクラスに参加した際、外部の人(私)が来ていてもまーーったく気にすることなくいつもの姿(動かない。子どもを残していなくなる等)を見せる先生。
同期の苦労が想像された。
しかし、同期からは障害児にたいするアクティビティなど学ぶべきことが多く、良い経験になった。

午後にメリダへ。
ロスアンデス大学で行われる国際体育連盟の体育学会に参加するためである。
ともちゃんが配属先の校長経由で発表者として招待されていたのだが、私も同行者として参加させてもらえないかお願いしたところ、主催者の大学のコーディーネーターが難なくOKしてくれたのだ。
道が悪くガタガタすごい揺れだったが、霧の立ちこめる素敵な山道を3時間、ほとんど寝てたらあっという間に到着した。
まずはホテルへ向かう。
しっかりした3つ星ホテルの最上階の部屋!

お湯シャワーが浴びれるだけでも嬉しいのに、なんと3食つき!
しかも3食ともホテルのおしゃれレストラン!
昼夜はメニューを見て選べる!デザートまで♪イエーイ♪

さらにホテルマンたちが紳士的!
ホテルのみならず、道を歩いていても「チーナ!」などと下品に声をかけてくる人などいない。
ここはベネズエラか!?いや違う!
どこかの国の国際都市に違いない…
そんな錯覚さえ覚える、メリダ恐るべし!

さて、到着日すでに学会の1日目が行われていた会場へ挨拶と下見に行った。
コーディネーターに自己紹介すると「君も明日是非講演してくれたまえ!15分くらいでいいから。」と言うではないか!
ひー、なんの準備もしていないが…
でもこれは素晴らしいチャンス!
何にもしないでホテルに滞在するのも悪いな~と思っていたし、引き受けることに。
運良くホテルにはネットがあり、ともちゃんがパソコンを持ってきていたのでネットから写真を集めパワポ作り。
深夜、力尽きて就寝―。
翌朝会場についてから原稿作成、ぎりぎり完成して誰にもチェックしてもらえず発表になってしまった。
発表者は世界中から集まった研究者達、会場にはベネズエラ全土から300~400人の体育関係者達が来ていて、緊張…。

ひたすら原稿を読み上げるだけの発表をするのが精一杯だった。
ものすごく場違いな上、しょぼい発表ではないかと不安だったが、後で何人かの人が興味を持って話しかけてくれ、“次は私の州で講演してくれないか”等と連絡先を聞かれたりして嬉しかった。
それから、“写真を一緒に撮ってくれ”
さらには“サインをくれ”などと沢山の人に取り囲まれ、芸能スターにでもなったようだった。
ああ、出きることなら万全の体制で臨みたかった…。
でも、本当にとてもいい経験をさせてもらった。

発表者の中には日本人もいた。
ベネズエラに日本人が来ることなんてまず無いだろうと思っていたが、意外と来るところには来ているものである。
通訳を通しての講演だが、会場はとても盛り上がり、同じ日本人として誇らしく思った。
学会のポスターには当初中国の国旗が入っていたが、中国人の参加者はいないので、日本の国旗に変えたらしい。
危ない危ない。

たった10分の発表しかしてないというのに、ホテルには結局3日間も泊まらせてもらった。
翌日の実習講義にも参加させてもらったからなのだが、本来有料なのにタダで入れてもらえ、さらにはタクシー代をもらったり、すごいVIP待遇で申し訳ないと感じるくらいだった。
こういう学会をすると、そんなにお金が入るのだろうか???
でも、午後は疲れてホテルで昼寝してたら夕方になってしまった。
いや~申し訳ない。

せっかくメリダまで来たので、夕方から町を観光。
教会でクリスマスコンサートをやってたので聞いたり、
市内にあるロスアンデス大学のホールでもクリスマスコンサートが催されていたので観賞したりと、
すっかり観光者気分で楽しかった。

翌朝ホテルを出発して任地へと、すっかり大満足での帰り道、
なんとバスの行き先を間違えて乗ってしまった!
正確には途中までしか行かないバスに乗ってしまった。
気がついたのは終点に着いたとき。
山の上の方の道路で下ろされ、バスが全然来ず、やっと来たと思ったら満員で止まってくれず素通りされ、雨まで降ってきてしまった。

たまたま同じ行き先に行く人たちと乗り合いタクシーに乗ることが出来たものの、それでもまだ途中のサントドミンゴという村までしか行けず、バスを待つ…。
この村へ来たバス、順番など無く、乗車ドアに群がる人に押しのけられ、何とか乗れたが席を確保することが出来なかった。
まだまだ山道でカーブも多く、1時間もすると疲れて酔ってきてしまった。
横には大学生くらいの男達が座っている。
くっそー若い男のクセにーなどと思っていると、
そんな私を察知したのか、横にいた青年が席を譲ってくれた。
さすがベネズエラ男子、女性に親切だと思い返し、ありがたく座らせてもらった。

行きよりも3時間くらい余計にかかって、なんとか夜にビスククイに帰ってきた。
ちょうどサンタバルバラのお祭りをしていたので、疲れてたけど雨が降ってくるまで小1時間見に行ってきた。
お向かいさん家では祭壇を作ってお祝い中。
ちょっと踊ってケーキをもらって、
任地に帰ってきたなーと思った。

2011年11月30日水曜日

日本文化祭~ラアスリータ編~

次は、同期の養護教育隊員がいるラアスリータへ移動。
その日の午後から会場である職業訓練校にて準備開始。
着いてびっくり、見事な日本家屋が出来ているではないか!
村に住む芸術家や大工さんの協力で作ったらしい。
同期のアイデアももちろんだろうが、会場設定も芸術家の手が加わると見応えある展示になる。

食べるのが好き…もとい、料理好きということで(?)私は寿司作り担当になった。
翌日太巻きのデモンストレーションをするための準備である。
太巻きなんて1回日本を出る前におばあちゃんと作ったことくらいしかないけど…。
が、作るに連れて慣れてきて、もはや気分は寿司職人である。
しかし、水が見事に黄色い…。
雨の影響でにごっているのだ。
そんな水でたいたご飯はおいしかったし、入れたお茶もおいしかったけど、一同にお腹の不安がよぎったことは言うまでも無い。
しかし、さすが協力隊員。もはや現地の水になど慣れているようであった。

宿泊先は市役所が一軒家を用意してくれたのだが、毛布が足り無い。
標高が1200m以上あるので夜は冷える。
私は同期の家に泊まらせてもらうことになった。
ミニバスでさらに山道を登り、静かな住宅街へ着くと、さらに家々から離れた場所に突如豪邸が現れた。
中に入って驚愕した。
世の隊員の中にはこんな豪邸に住んでる隊員もいるのか!!
しかも同期にいたとは!!!
しばし呆然。
なんなんだ、ここは!外は高原リゾートホテル、キッチン・リビングは映画の中の欧米のお金持ちの家のようである。
思考停止―
その後数日間は彼女の家が忘れられず、ふとした瞬間になんで自分は任地がビスククイで今の家に住んでいるのかと自問自答の日々が続いた。

翌日。
爽やかな高原の朝の道を、
―なぜだ、なぜなんだ―
と、任地について悶々としながら会場へ向かい、準備。
ラアスリータのでの祭の初日は、まずは養護学校の生徒達と神輿をかついで村を行進することから始まった。
同期による手作りの神輿、めちゃ力作!
養護学校には音楽の先生がおり、オーケストラも持っている。
生徒達が太鼓を神輿のリズムに合わせて打つと、まるで日本の祭そのもの!

プラサにある教会とのコントラスト、感動的だった。

午後はこちらもコンサート。
村のコーラスグループが来て、会場は満員。
聴覚障害の生徒達は手話で歌う。
これまた感動的。

そしてこれまたそんな後に、隊員の合唱。
が、ベネズエラ人、褒め上手。
「君の歌声は天使の様だったよ」
「私の心の中の何かが奪われてしまったようさ」
などなど賞賛の声を沢山いただき、大満足自己満足。

コンサートの後には太巻きのデモンストレーション。
沢山の人が見てる前で作るのは緊張したが、寿司大人気、あっという間に無くなってしまった!

後日この様子の写真がメリダ地方紙に載った。


祭最終日は展示と着付けや習字などだけで、大きな企画はなかったので、気持ちのんびり。
隊員達もここまでやり遂げて、もはや後夜祭的気分である。
同期の提案により、女子隊員一同、ぱっつん前髪に!
さらに、芸者(!?)風メイクをしようと、白塗り!
先輩隊員、あきらかに物凄い格好をしているのに、少年は真面目に折り紙を習っていた…。
いやいや、絶対おかしいだろう!
日本人との感覚の違い!?
会場を5時に閉めた後、白塗りフェイスで村を練り歩いた。
村人、ほとんど声をかけてこなかった…。

1週間の日本祭、最高の思い出になった。

2011年11月28日月曜日

日本文化祭~サンタクルスデモーラ編~

メリダ州の隊員によって計4日間、日本文化祭が開かれた。
最初の2日は、音楽隊員のいるサンタクルスデモーラという町で行われた。
ビスククイを早朝に出て、3度のバスの乗り継ぎもスムーズ、渋滞も無く、
10時間で着くことが出来た。
会場は隊員がピアノの先生をしている青少年オーケストラの施設。
そこには信じられない光景が…!!
施設の人たちや生徒の保護者達がボランティアに言われるまでもなく率先して動いている…!
なんて協力的な!
所変われば働く人もいるものだ!
他の任地の隊員は「この姿を任地の人に見せよう」と写真まで撮っていた。

家に泊めてくれたのは画家であり元オーケストラのコーディネーターのネストルさん。
めちゃかっこいい!時折高田純次的適当っぷりが出る―いや、ユーモアのセンスがあり、それがまた素敵なのだ。
家には作品がたくさん飾られており、庭もまるで絵画のようで、めちゃアーティスティック!!
空き缶で作られた巨大な魚
娘さんによる壁の落書き(?)までアーティスティック
なんか見たことのある顔が…あ、監督!
さすが世界の宮崎駿
娘さんの部屋の壁
メリダって素敵な人が住んでいるなあ。
なんか違う…
前々から感じていたメリダに対する憧れがさらに強まった。

翌日は朝から宿泊先のキッチンで日本食作り。
開会はまずは日本食の試食からということのようだ。
カレー、サラダ、味噌汁、ナスの素揚げ、大学芋、羊羹、白玉団子…
おいおい、何品作ればいいんだという量だったが、主催の先輩会場設定に行ってしまい、残った隊員達4名と宿泊先の奥さんとせっせと作る。
結局白玉団子までは行き着かず、さらにサラダは奥さんに任せてしまったため全く日本風では無くなったが、なんとか大量のカレーを筆頭に無事仕上げることができた。
ところで、羊羹の材料らしきものが何も無かった。
どうやら砂糖水をゼラチンで固めて黄な粉をふりかけるお菓子のことだったらしい。
先輩、多分そのイメージ、わらび餅…。
奥さん、ゼラチンに砂糖と水だけじゃダメでしょ!と思ったらしく、練乳を投入。
もはやわらび餅からも離れたおやつになったが、後に現地人たちにはとても好評なのを見て納得する我々であった。


その後は展示物を見てもらうなどしてその日は終了。
かわいいプチ日本家屋
日本と間違えてチャイナドレス着ちゃった女の子が…。

夜は残った味噌汁とカレーをおいしくいただいた。
同期ともちゃんの誕生日だったので、奥さんがドーナツでケーキを作ってくれてお祝い♪
忙しくて皆でずっとバタバタしていたが、心温まる夜になった。

日本文化祭2日目は朝から習字コーナーやらお箸実践コーナーやらで文化紹介。
私は着付けコーナーを担当することに。
会場にあるもので呉服屋のごとく浴衣を並べると、気分は呉服屋の女将。
次々にベネ人達に浴衣を着付け、案外スピーディーにさばけるものである。
着せる度に喜んでくれるのでこちらも嬉しかった。


昼は手巻き寿司のデモンストレーション。
来場者達が一生懸命橋で具をのせるというおもしろい企画になった。


午後はコンサート。
オーケストラにはイギリスからのボランティアの女の子が来ていて、その子のバイオリンと先輩隊員のピアノで「春の海」が演奏された
イギリス人がベネズエラで浴衣を着てバイオリンで日本の曲を琴風にに弾くというなんともインターナショナルな企画である。
が、めちゃくちゃ感動!
一同聞き惚れてしまった。
音楽は偉大だ。
そんな後にしなければならない隊員による合唱。
前日と当日の朝に1回ずつ歌っただけであるが、さすが日本人、音をはずさずに歌えることだけでも日本の音楽教育レベルが伝わったのではないだろうか。
ちなみに歌うの大好きな私は張り切って歌ったため、どの写真を見ても私一人大口を開けていたが、気持ちを込めて歌った歌は聴衆に響いたはずである!自己満足!

メリダ州は観光に力を入れていて、どの村も素敵な町並みをしている。
車でオーケストラの施設と家を往復していただけだったので、2日目が終わった後ちょこっと町を散策した。
石で作られた道や橋
教会
メリダは違う…
素敵さ具合に、つい自分の任地と比較してしまうのだった。

2011年11月24日木曜日

イベント三昧

11月は子どもの権利の日と幼稚園の開校記念日があり、さすがお祭り好きなお国柄、幼稚園では2週間イベント続きだった。
子どもの権利の日のお祝いの初日、州都から人形劇団が来ることになっていた。
午後のクラスの子どもも午前中にやってきて、保護者とともに到着を待つ。
が、開始時刻を過ぎてるのに来ない。
なんと、車が故障して来れなくなったというのだ。
「どうやって保護者に説明しようかしら~」といった程度で、こんなハプニングにもさして動じない先生達。
急遽キューバ人のエアロビクスの先生が1人呼ばれて来てくれたが、先生達が協力してくれないせいで100人以上いる子ども達は好き放題に大騒ぎ。
「子どもが多すぎて何にも出来やしないよ」と10分もしないうちにアクティビティを切り上げて帰ってしまった…。
そんなことにも動じず、日々が過ぎていくのがここの普通である。

その同じ週にはビスククイの日があった。
その日は村の祝日、コンサートが開かれ、夜中12時にバースデーソングが歌われケーキが振舞われる。
雨が降っていたが、もちろん行かないわけにはいくまい!
ケーキをもらわなくては!
ケーキ目指して12時直前にプラサへ。

雨が降っていたせいか人が少なめ、ケーキもらい放題である。
村人達、クリームまみれになりながらスーパーのビニール袋にケーキを詰めまくる。
「わはは、13個集めたよ!」ってな具合である。
私もちゃっかり5切れはもらって、夜中のケーキに危惧しながらも2切れ半は食べた。
ケーキわしづかみ図書館長(左)と文化センター長(右)
その翌週は開校記念日のお祝い。
月曜日、今度こそ人形劇団がやってきた。
おもしろいのかつまらないのかよくわからなかったが、子ども達はそれなりに聞いていた。

火曜日、運動会。
午前中のクラスは障害物競走のようなイベントをしたり、キューバ人とエアロビをしていた。
麻袋に入ってジャンプ

おしりから垂らした鉛筆をビンに入れるゲーム
1時間半ばかりの会ではあったけどまあそれなりだったのだが、午後は…輪になって手遊び歌や軽いゲームをして終了。
40分も無い上に、運動とよべるべき内容が無かった…園長も来てなかったし、適当!!!

水曜、ダンス発表。
各クラスごとの発表で、伝統の踊りを踊るクラスが多かった。
ただ、ペアのダンスなので、なんとなく左右に揺れているだけの子ばかり。
あるいは一部の子だけが目立つような構成。
そんな中で1クラスとっても良かったクラスがあった。
舞台に出るのを嫌がって泣く子もおらず、子ども達全員が楽しそうにピエロを演じていた!

他のクラスを見ると、いまいち自分達が何しているのかわかっていない子が多い中、日々の保育の延長にある発表ってこういうのだよなあと感じさせてくれるものだった。
顔にペイントするのを手伝ったので、思い入れのある発表にもなった。

木曜日、パレード。
地元の青少年バンドと、州都からピエロが招かれ村を1時間ほど行進した。
 園に着くと、ピエロのコント劇が。
停電のせいで音楽が無くていまいちさえない内容になってしまっていたのが残念。
最後には例にもれずバースデーソングを歌ってケーキを食べる。

担任の先生達は何かある度に子どもと保護者の分のケーキを作ってこなければならないのだから、結構大変である。
メインのケーキは子どもたちが帰った後、先生達だけで食べられた。
イベント続きで楽しいが、先生達は毎日のようにお金を徴収され、毎日のようにお金のことが話し合われていた。
バンドやピエロに払うお金、ケーキ代、それ以外にも何かとお金が集められる。
政府からの援助がないため、先生や保護者はいろいろなものに自腹を切らなくてはいけない。
すべてのイベントが終わった後、職員室でお金を数える園長先生たち、明らかに疲れていた…。

2011年10月29日土曜日

慈善活動

教会の慈善活動で障害者の人たちに夕食を贈る活動をするというので、これは村を知るいい機会と思い参加させてもらった。
箱にフルーツや自家製ヨーグルトなどを詰めワゴン車に積み込む。
車は満員だったが、ちょっと無理を言って荷台に乗せてもらい、一緒に連れて行ってもらえた。
計20軒近くの家を訪ねたのだが、一同ショックを受けていた。
“病気であれば病院に行って、よその人とも触れ合える。でも、彼らはずっと家にいて、助けも訪れてくれる人も無い”と。
何年も寝たきりの子ども達。
ろくに動けない1人暮らしの老母。
もちろんこの活動は市役所の障害者名簿を見て行われたので、リストがあるということは何らかの援助がされているとは思うのだが。
外に出られずにいる障害者の人たちと、その介護をする家族達の孤独さを思うと皆胸が痛んだようだった。
それでも、介護する家族の温かさを見るたびに少しほっとし、また、多くの人が助けを必要としていることがわかってとてもいい活動になったと語っていた。
市役所や教会の連盟に援助を請願しようと新たな活動もされそうだった。

でも、ブロックむき出しの貧しい家の薄暗い部屋の中で、感情を表すこともなく宙を見つめていた少年の姿はきっと皆の胸に焼きついたと思う。
私には何ができるのか。
多くのことを考えさせられた1日だった。

2011年10月22日土曜日

大学講師デビュー

我が任地ビスククイは人口2万5千人(推定)くらいの村だが、大学が3つある。
しかしどの大学も校舎を持っておらず、小学校や中学校の校舎を使わなければならないため、通常授業は夜か土日に行われている。働きながら、あるいは実習しながら勉強するには都合がいい。
そのうち1つの国立大学の教育学科で講師をすることを頼まれた。
ことの起こりはJICA所長が任地に来た際、市役所での会議の折に配属先文化センターの長が「大学で講義をしたらどうか」と提案してくれたのだ。
早速大学のコーディネーターと連絡を取り、教授と打ち合わせ、すぐに2つのクラスで翌々週に講義の時間を取ってもらえた。
が、この大学全国各地にあるのだがレベルが低いことで悪評が高い…。
教授と書いたが、普通のおばちゃんが授業をしているといった感がある…。
先生は真面目でいい人達だったが、一般教養を教えている様子を見ても、専門知識が無いようでなんだか小学校の授業を見ているような感じがしてしまう。基礎教育(幼稚園と小学校)を教えているという2つのクラス、教授は2人とも幼児教育の現場経験が(多分知識も)無いので、一切幼児教育法は教えられていない。
そこで私の出番となったのであろう。
初日は折り紙を教えることにした。
「遊びを通して教える」ことを学生にも楽しみながら学んでほしいかったからだ。

しかし、講義を始める前にまずしたことは、日本紹介!
世界地図を広げ、「ベネズエラはどこでしょう?」と質問してみる。
2列目の席の学生「よく見えません」
とんだ言い訳である。
南米に位置することくらい、南米大陸の形くらい、わかっててくれ!
なるほど、アジアのことなんて何もわかっているはずがないと納得。
日本と中国は違う国であることなどを説明し、授業に入ったのだが、それでもあいかわらず「チーナ」とよんでくる学生がいる。
教授に対して見かけに由来した呼び方をするなんて失礼なことだって、なんで気がつかないんだ。
教授が「彼女はマリエよ!」とすかさず言ってくれるが、これまた小学校レベルである…。

さて、講義では簡単な折り紙を教えたのだが意外に難しかった様子。
長方形の雑誌から正方形を切り出す方法も誰もわからず、手本を見せてからでさえ質問が絶えなかった。
しかし中には興味を持ってくれた学生もいて、やる気のある人もいることに希望を感じた。
それでも配属先の幼稚園の先生達よりはよっぽど聞いてくれていたわけだが。
折り紙の教育的効果や、遊びを通して教えることの効果を説明し、終了。
午前・午後と2クラスでの講義を無事終えたわけだが、大学で教えるには自分の語学力がまだまだ足りないと痛感、反省して大学を後にした。

2011年10月5日水曜日

男はつらいよ

男女差別…
ベネズエラでは“マチスモ”といわれ、まだまだ家庭内では男性優位であるようだが、
日本人ボランティアにとっては、逆である。
概してベネズエラ人男性は女性に優しい。
中国人蔑視はあるが、日本人女性に対して優しくしてくれる人が多いし、
愛の告白メールやら電話やらをしてくる人も多い。
が、男性には厳しい。
特にアジア人は…。

<我が家の家主ペドロの場合>
今まで何人かの日本人女性が我が家に来た。
先輩隊員Hさんが来たときは、あれやこれや質問したり、ハンバーガー屋につれていってくれたり、下ネタ連発したり(かなり不評)。
また、先輩隊員Kちゃんが来ると、大きく抱きしめ、それはそれは大げさな挨拶。
(本性を知る者としては、ああ、気持ち悪い―としか言いようが無い。)
はたまた日本から知人が来たときは、別荘へ連れていってくれ食事や散歩をした。

が、
男に対しては「どうして親切にしろっていうんだ!?」と本人が言うくらい、ひどい。
昨晩任地に帰るバスが無くなってしまい、同期男性隊員Dくんが我が家に来た。
ペドロ、一気に険しい顔になり
「いくらでも払えば帰る方法はあるだろ」と投げやりな言葉をかけて、
“今すぐ帰れ”とでも言うように去って行った…。
この違い…あからさますぎる…
以前彼が来たときにも、挨拶はおろかほとんど無視状態。
お土産を持参し、親しくなろうと努める彼に対し、
「髪型が女みたいで変だ」等と散々失礼なことを言いまくってきた。
だから、今回の対応も予想はしていたが、
同期Dくん曰く「想像以上だ…」
そして最近訪れたいくつかの他の隊員の任地の人の良さや住環境の良さを語っていった。。。

はああ―。
なんか落ち込んだ。
私の村にもいい人だって多いのだが、せっかく来てくれてもこの対応じゃあ嫌な村にしか見えないだろうと悲しくなったし、なんでこんな冷たい人の家に住んでるんだと悲しくなってしまった…。

さらに、男性ならではの損な話が続く…
例えば市場などでは、
「タダでいいよ!」とか「君に恋をしてしまった」とバラをおくられる私に反し、
「高く売りつけられます」
離れた親戚の家や旅行への招待がある女性隊員に対し
「どこかに連れて行ってもらうことないなあ…」

今までも、差別を受けた男性隊員の話を聞いたことがあり、
ひどいと石を投げつけられたり、川に突き落とされそうになったり、殴られて怪我したり等、
男性隊員の苦労と孤独が偲ばれる…。。。

だからベネズエラ男性隊員は皆痩せていってしまうのか!?
強く逞しく、頑張れ日本男児!!