2011年11月30日水曜日

日本文化祭~ラアスリータ編~

次は、同期の養護教育隊員がいるラアスリータへ移動。
その日の午後から会場である職業訓練校にて準備開始。
着いてびっくり、見事な日本家屋が出来ているではないか!
村に住む芸術家や大工さんの協力で作ったらしい。
同期のアイデアももちろんだろうが、会場設定も芸術家の手が加わると見応えある展示になる。

食べるのが好き…もとい、料理好きということで(?)私は寿司作り担当になった。
翌日太巻きのデモンストレーションをするための準備である。
太巻きなんて1回日本を出る前におばあちゃんと作ったことくらいしかないけど…。
が、作るに連れて慣れてきて、もはや気分は寿司職人である。
しかし、水が見事に黄色い…。
雨の影響でにごっているのだ。
そんな水でたいたご飯はおいしかったし、入れたお茶もおいしかったけど、一同にお腹の不安がよぎったことは言うまでも無い。
しかし、さすが協力隊員。もはや現地の水になど慣れているようであった。

宿泊先は市役所が一軒家を用意してくれたのだが、毛布が足り無い。
標高が1200m以上あるので夜は冷える。
私は同期の家に泊まらせてもらうことになった。
ミニバスでさらに山道を登り、静かな住宅街へ着くと、さらに家々から離れた場所に突如豪邸が現れた。
中に入って驚愕した。
世の隊員の中にはこんな豪邸に住んでる隊員もいるのか!!
しかも同期にいたとは!!!
しばし呆然。
なんなんだ、ここは!外は高原リゾートホテル、キッチン・リビングは映画の中の欧米のお金持ちの家のようである。
思考停止―
その後数日間は彼女の家が忘れられず、ふとした瞬間になんで自分は任地がビスククイで今の家に住んでいるのかと自問自答の日々が続いた。

翌日。
爽やかな高原の朝の道を、
―なぜだ、なぜなんだ―
と、任地について悶々としながら会場へ向かい、準備。
ラアスリータのでの祭の初日は、まずは養護学校の生徒達と神輿をかついで村を行進することから始まった。
同期による手作りの神輿、めちゃ力作!
養護学校には音楽の先生がおり、オーケストラも持っている。
生徒達が太鼓を神輿のリズムに合わせて打つと、まるで日本の祭そのもの!

プラサにある教会とのコントラスト、感動的だった。

午後はこちらもコンサート。
村のコーラスグループが来て、会場は満員。
聴覚障害の生徒達は手話で歌う。
これまた感動的。

そしてこれまたそんな後に、隊員の合唱。
が、ベネズエラ人、褒め上手。
「君の歌声は天使の様だったよ」
「私の心の中の何かが奪われてしまったようさ」
などなど賞賛の声を沢山いただき、大満足自己満足。

コンサートの後には太巻きのデモンストレーション。
沢山の人が見てる前で作るのは緊張したが、寿司大人気、あっという間に無くなってしまった!

後日この様子の写真がメリダ地方紙に載った。


祭最終日は展示と着付けや習字などだけで、大きな企画はなかったので、気持ちのんびり。
隊員達もここまでやり遂げて、もはや後夜祭的気分である。
同期の提案により、女子隊員一同、ぱっつん前髪に!
さらに、芸者(!?)風メイクをしようと、白塗り!
先輩隊員、あきらかに物凄い格好をしているのに、少年は真面目に折り紙を習っていた…。
いやいや、絶対おかしいだろう!
日本人との感覚の違い!?
会場を5時に閉めた後、白塗りフェイスで村を練り歩いた。
村人、ほとんど声をかけてこなかった…。

1週間の日本祭、最高の思い出になった。

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