2010年12月15日水曜日

サンタ・バルバラの日

12月4日はDía de SANTA BARBARA
聖バルバラの誕生日だからお祝いするんだとお向かいの子達に誘われて出かけたものの、
教会ではなく、一軒の家のポーチに祭壇が作られてあり、道路にも人がいるという状態。
その歴史やいわれについては村人達に聞いてもよく知らない人が多かった。(ちょっと適当である)
なので、ネットで検索☆

『 聖バルバラ(英語:Saint Barbara)は、正教会非カルケドン派、一部の東方典礼カトリック教会で崇敬される聖人(広く民間に崇敬を集めた聖人であるが、カトリック教会では歴史的に実在した証明ができないことを理由に、1969聖人暦から外している。)。建築家や石工、砲手、消防士、鉱夫、囚人の守護聖人である。3つの窓をもつ塔、棕櫚の枝、孔雀の羽根、剣、聖杯、稲妻、本などとともに描かれる。記念日は124 
はあ…なんで聖人なのに教会で祝わないのかという疑問は解けたけど、全然よくわからず。
『伝説…バルバラはキリスト教が禁じられていた3世紀ニコメディアの富裕な家庭に生まれた。求婚者たちから美しい娘を遠ざけようとした非キリスト教徒の父、ディアスコロスによって、バルバラは塔の中で生活することになる。その幽閉生活の中で彼女はキリスト教への信仰に目覚めた。ある日、2つの窓のある浴室が塔内に建設されることになった際、バルバラは窓を3つに増やさせた。この理由を三位一体を表わすためとしたことから、娘がキリスト教徒であることを知った父は激昂し、手にかけようとする。その瞬間、岩が二つに裂け、バルバラを包んで連れ去った。しかし、彼女を発見した羊飼いはその居場所を彼女の父親に密告してしまう。その後、羊飼いの羊たちはイナゴに姿を変えられた。一方、捕らえられたバルバラはキリスト教を信仰したかどによって、火で身体を焼かれるなどの拷問を受けた。しかし、翌朝には神のもたらした奇跡によって傷は癒され、その裸身は白い薄衣で人目に直接触れないように覆われたとされる。124日、剣によって彼女は殉教したが、その父はのちに稲妻に打たれて死んだという。
おお、怖い…
なんとなくわかってきたが、もう一つ気になったのが、
サンタバルバラといっしょにおいてある黒人の置物。
(写真中央)
どうみてもキリスト教とは関係なさそうな風貌である。
1人がかなりの違和感を出しているので気になって仕方ない。
お向かいさんいわく「名前はチャンゴ、サンタバルバラのだんな」だそうだが、
調べてみたら、サンタバルバラよりさらに興味深かった。
彼はアフリカの宗教の軍神だったのだ。
そして、そもそもサンタバルバラのお祭りのルーツはキューバだったようだ。
黒人導入の歴史が他国より遅れたため、キューバにはアフリカの宗教が比較的純粋に保たれており、キューバ人の多くは白人を含めて、表面上はカトリックの聖者信仰でありながら内実はそうした聖者になぞらえたアフリカの神を信じているらしい。
だから、サンタバルバラとチャンゴを一緒に祝っていたのか…なるほど。
ところで、ダンナって…ぜんぜん違うじゃん!!!

さて、そのお祝いでは何をしたかおいうと…
宗教的というよりは一種のお祭りである。
まずはカラバナ(車のパレード)に参加。


夕方サンタバルバラの像を積んで、サンタバルバラに関する曲をかけた車を先頭に出発。
軽トラの荷台に人を積み、バイクや馬も同行した。
1時間半かけて村中を回ったのだが、荷台から村を眺めながらビールを飲んだり花火を見たりして楽しかった。
ゆっくり走っていたので村のいろんな場所を知ることが出来たのも良かった。
繰り返しかけられる音楽のために、もう頭の中はサンタバルバラでいっぱいである。
思わず口ずさみ、後日CDをお向かいさんに借りに行ってしまったほどだ。
この曲についても、CDジャケットや曲名こそ、聖バルバラなどキリスト教の聖者のデザインや名前にあふれているが、宗教音楽というよりは、黒人音楽がベースのしっかりしたリズムをもったキューバ音楽だったようだ。中にはリズム感あふれる太鼓だけの曲もあって、最初はどうしてアフリカっぽい曲がまざっているのかよく理解できなかったが、納得である。


さて、カラバナが終わったあとはお向かいさん家でまたお祝い。
こどもたちがダンスを疲労したり、ケーキを食べたり、踊ったり…
わたしはおばあちゃんとたくさん踊った。結構なお年なのに、踊りとなると若くなる。


その後夜9時半頃、サンタバルバラがたくさん飾ってある家(集会所)へ行く。
お祈りが繰り返され、ちょっと宗教的な感じに…。
が、道路では花火が打ち上げられたり、その向かいの家ではバーベキューパーティーがされていて、いい感じの肉の香りが漂っていたりと、やはり基本は南米ノリである。
さらに深夜になるとパンなど軽食が振舞われ、サンタバルバラにまつわるスライド上映も始まった。もちろん、誕生日の歌を歌ってケーキの振る舞いがあるのはお約束。


わたしは12時過ぎまでいたが、まだ残ってる人もいた。
夜遅いところもまた南米ノリである。

結局、
日本人がキリスト教徒でないのにクリスマスを祝うのと同じような感じで、
他国に便乗してうまれた習慣のようだ。
そう思うと、親近感…!?

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