2011年6月13日月曜日

聖アントニオの日

1週間の村祭りが催された。
ビスククイ村のパトロン(守護聖人)であるサンアントニオを祝うこの祭り、
もちろん毎日のようにカトリック教徒のミサがあちこちで催されるのだが、
市役所主催のイベントは…
ミス・ビスククイ
毎晩深夜開始の野外ライブ
コリーダ(スペインの闘牛)
トロ コレアード(南米風闘牛…馬の騎手が牛の尻尾を引っ張って倒す)
移動遊園地と露天屋台


などなど。。。
もはやサンアントニオの影はどこにも無い。

お祭り大好きな私、いろんなイベントに参加した。

7日(火)と8日(水)は夜に路上のミサが。
1時間半程のミサの後にはパンや軽食の振る舞い、
子ども達によるタムナンゲとよばれるサンアントニオの踊りが披露された。

9日(木)は村のレイナ(女王)の選考会があった。いわゆるミスなんとか…ってやつである。
プログラムには8時開始とあるものの、ベネズエラタイム、予想通り始まったのは10時半を回った頃だった。
15歳くらいの子達が超セクシーなデザインの黒の水着で登場、いいのか!?
最後はドレスに着替え、問題に答え、レイナが決められる。
深夜1時まではがんばったが、一緒に来た友達が帰るというので、次の日仕事もあるし一緒に帰った。が、そんな時間でもまだレイナの決定はされず、
ミニレイナといわれる3~4歳の女の子達も舞台にいたのだった。
夜を楽しむラテン文化である。

次の日金曜はさすがに疲れて野外コンサートには行かず、休息。

11日(土)の夕方まずは闘牛を見に行った。
村の公園に仮設された闘牛場。
4時開始というので一応時間通りに行くが、始まらない。
ひたすら待つこと2時間、夜6時にやっと開始!ああ、すでに疲れが…。
(何かイベントがあるときに開始が遅いのは、開始までの間にビールやスナックを販売するためらしい。確かに、通常より高いのに売れてた。)
3日間開催された闘牛、私が見に行ったこの日はノビジャーダという見習い闘牛士による闘牛の日だった。
が、初めて見る闘牛、かなりの迫力!
計4頭の牛が出てきたのだが、2頭目のとき、若いマタドール(とどめをさす闘牛士)が2度も牛に倒され襲われ、相当ハラハラした。
背からどくどく血を流しながら走り、最後にとどめをさされて倒れる牛を見るのは怖かった。
完全にやられると耳を切られ(マタドールの出来栄えによって耳が与えられるそう)、馬の牽く台車にのって会場を去っていく。
おお!これが闘牛というものなのか!

いったん家に帰って一眠りした後、今度は“アマネセール ジャネーロ(平原の民の夜明け)”という野外コンサートへ。
ムシカジャネーロという平原地方の音楽とともに、その名の通り朝を迎えるのである。
深夜0時頃着いたものの、これまたちょうど1グループ目の演奏が始まった所だった。
ベネズエラタイムには慣れた…。

レイナルド・アルマという有名な歌手が招待されているとあって、村の皆が一番楽しみにしてたイベント。
時々降る雨にもかかわらずすごい人出である。
かなりどしゃぶりになったが、ちょうどステージの目の前の家に親しくしてもらってるおばさんが住んでるので、家に入れてもらい、ガレージや窓から見れるというVIP待遇。
さらに深夜になると酔っ払いも増えてきたので、結局ほとんど家の窓から見させてもらった。
有名歌手は3時に登場、4時半に出番が終わったが、その後もまた違う歌手が何人も登場。
眠気や空腹や疲れと戦いながら、ほぼ終了する朝7時まで見ると、なにか達成感のようなものを感じた…!!
さすがに日曜は休息。

13日(月)はいよいよサンアントニオの日の当日、
朝5時半からのミサ。
夜が遅けりゃ朝も早いから、もう体内時計はわけがわからない。
雨が降ってたので7時近くに着くと、ちょうどサンアントニオの像の山車を引いて村を歩き出そうというところだった。

エスタシオンといわれる休憩祭壇が15箇所くらいにあり、そこで停まるごとに祈祷や音楽の演奏やダンスがあった。

そして、かならずパンの振る舞いがある。
コーヒーやジュースなんかがつくときも。
私はカトリック教徒でも何でもないが、ちゃっかりほぼ毎回パンをもらった。
バターもジャムもついてないパンで飽きるが、持ち帰るように袋に詰めたりもしながら毎回ありがたく、いや、争うようにもらった。
市長(右)も一緒に歩いた。

なんとかお昼1時頃ゴール地点の広場に着いた。
結局この日もどしゃぶり。
それでもめげずに歩く姿に信心を感じ、
ゴール後に雨の中ミサやコンサート開始を待つ姿に、祭りへのやる気が感じられた。。。

これまた達成感を感じて家に帰った、その日の夜。
祭りのクライマックスのイベントである打ち上げ花火があった。
たいしたことないだろうと思っていたが、豪華にあげている!
家の屋上から1人で見ていた私。
打ち上げ広場にすぐ近いのに、周りには誰もいない…。
そんなシチュエーションに、花火に興奮するとともに、なんか切ないものを感じた。
夏の終わりの寂しさのようなものを花火に感じるのは日本人だけなのだろうか。
花火大会好きな私、日本では毎年何箇所も行っていた。
「来年は日本で花火が見れるんだな~」などと、
ふと日本のことを思い出していたのもまた、ちょっとセンチメンタルになった原因だろう。
とにもかくにも感動した。

ビスククイ、なかなかやるじゃないか!!

0 件のコメント:

コメントを投稿