2011年8月12日金曜日

肥田家パパママ大冒険

日本ではお盆休み。
両親が遥々ベネズエラまでやって来てくれた!

しかし、その道のりは長かった。
まず、航空券が全然取れない。
ねばってねばって問い合わせ続け、探しに探して、かなり値上がりはしていたものの何とかゲット。
しかし、祖母が危篤状態…
結局旅行の3週間ほど前に亡くなってしまった。
本当に悲しくて、初めてベネズエラと日本との遠さも実感した。
生まれてからずっと一緒に暮らしていたおばあちゃん。
お葬式には出られないけど電報を送ったらどうかと父が言ってくれたので手紙をメールで送った。最後に棺の前で読んでくれたそうだ。
旅行どころでは無かっただろうが、祖母が行っておいでといってくれたのではないかと、予定通り来てくれることになった。

いよいよ到着前日、両親を迎えに行くため首都へ向かっていると、成田にいる母から急に電話が。
「飛行機が遅れてトランジットで2泊しなきゃいけなくなっちゃったのよ~!!」
なにー!?
ただでさえ1週間しかない旅行日程。
2日間失うのは痛すぎる。
カナダのトロントでの乗り換えが間に合わないということなのだが、悲しいことに、成田からの便の到着時刻のわずか15分前にカラカス行きの便が出てしまうという切な過ぎる差。
そして翌日はカラカス行きの便が無いため2泊しなきゃならない羽目になってしまうのだ。
両親は「なんとかならないのか」「英語もわからないし」と航空会社のスタッフにかけあうも「英語が出来ないなら海外に行くなっていう話ですし」とか冷たく言われる始末。
結局、カナダに着いてどうしていいかわからず困っていると、救世主登場。
日本語をちょっと話せる同航空会社のカナダ人スタッフが、いろいろ助けてくれ、さらにトランジットが1泊だけですむように、トロントからボゴタ(コロンビア)経由カラカス行きの便に振り替えてもらうことができたのだ。
同じ航空会社にも嫌なヤツもいればイイ人もいるものである。

しかし、1日は失ってしまった。
そうすると任地へ行く時間は無い。
頑張れば、夕方に着いて翌日早朝まで滞在ということも出来なくは無かったのだが、当初2日失うと思って、予約していた便やらホテルやらを全部変えてしまっていたので、結局諦めてしまった。
というのも、両親がベネズエラへ向かってくる間、私は首都の旅行代理店に行き相談。国内線の予約を変更するため航空会社のオフィスへ行き、エンジェルフォールのツアーのために予約していた旅行会社やらホテルやらに電話をし、すべてを変更していたのだ。
これだけを一気にこなすと、旅行会社のスタッフにでもなった気分である。

ついに到着した時には、会えた喜びと無事に着いた安堵感で、母涙目。
真夜中に着いたにもかかわらず、タクシーの中で止まらない勢いで喋り続ける母に圧倒されるほどであった。

さて、任地に連れて行けないなら仕方ない。
首都でなんとか楽しんでもらおう!!
ん?思いつかない。
地球の歩き方やらなんやらで調べる…
結果、やはりたいした見所がない。
まあとりあえず
<首都でしたこと>
●公園を散歩
時差ぼけでフラフラしながらもイグアナなど観賞。
ちょうど日曜だったのでアエロビクスをやっていた。
参加してみる父
●手工芸品のレベルの低さを知る
「あんまり買いたいものが無いわねぇ」

●世界遺産に登録されている大学都市を見学
両親とも建築士なので、私は前回来たときには何も思わなかった建築術などに気がつくことができた。
実際「世界遺産というほどかなあ?」という感想だったが、何せ見所が無いし危険極まりない首都なので仕方が無い。

●観光2日目、ベネズエラ料理のレストランに行った。
首都のアレパは村の地方のより分厚い。その重たさに胃はついていかない様子。
「マリエは毎日これを食べているのかあ」
と感心までしている。
そしてその夜、シウダーボリーバルに行くため飛行場へ。
夕食に何食べるか聞くと、
アレパ、即行却下。
滞在2日目にして、早速寿司を選んでいた…
  空港には「BENIHANA」という寿司屋がある。確かに美味しかった…

●最終日の昼食…とうもろこしの粉に豚の皮と野菜を混ぜて蒸したものとチーズ
ナイフとフォークの刺しっぷりに異文化を感じる。


 おしゃれカフェで休憩

カラカスのデパートやマンションの中にはたくさん樹木や草が植えてある。
「首都なのに緑が多いね」と良いところにも気がついてくれた両親。

任地に行けなかったことは本当に残念だった。
どんなところに住んでいるか見せたかったし、親切にしてくれている友達を紹介したかった。
両親に聞かせるため日本語で島唄を練習してくれていた子もいた。
他の隊員のご両親や知人達が同じエアーカナダなのに誰もトラブル無く着いているのに、なぜウチだけ…という悔しさがすっごく残った。
でも、「普通の旅行とは違うことができておもしろかった。ありがとう。」と言ってくれたので、無理して長距離移動せず、これはこれでよかったのかなあ。と、思いたい。

日本に帰るとなんと2人して熱を出したそうだ。
肥田家一生の思い出の一つになったこと間違い無し。
お疲れ様でした~!

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